とりめも

東京のおいしいインドカレーの店を教えて

こわいもの

最近、自分の喋り方で、「○○って嫌だな」「○○って嫌い」って言い方は殆どしておらず、「○○ってこわい」って表現が多いことに気がつきました。

 

その、○○に当てはまる1つに、「当たり前を疑わない人」があります。慣習を礼儀とかマナーとか常識に変換しちゃうような。

 

何も「当たり前をぶち壊していけ」とは言いません。それは、それで、やけっぱちで無思慮な言いがかりな気がするので。

 

数年前に、以下のような場面に遭遇したのです。

A「B君は俺より年下なのに、弄ったくらいでキレた。年上にそういう態度はどうなんだ

Bがあまり人望がなかったのもあるのだけれど、その場にいた全員が「うんうん」と首を縦に振っておりました。

実際にBが「キレた」場面にも立合ったのですが、

C「年上にその態度はどうかと思うよ。」

とBが窘められていて。

 

Aが悪いとかBが正義とか言うつもりはありません。気になったのは、その場の皆が「年上に悪態をついてはいけない」といった価値観を共有していることです。事前に打ち合わせたわけじゃないのに。

 

ところで、古い時代の中国において、社会の規範とされた儒教では、「年上を敬うべし」という考えがあったような気がします。しかし、現代日本でその考え方は必ず適用されるべきものなのでしょうか。

 

何で習うんだろう。道徳かな。家族に教えてもらうのかな。部活動かな。いずれにせよ、その場にいた人たちのうち私以外が「当たり前のように」Aの味方についたことが怖かったのです。さらに、Bまでも「年上にあんな態度ダメですよね。」と反省していました。

 

一般の風潮で「年上には敬語を使う」という慣習がまかり通っていて、そこから「年上には失礼のないように」などの考えにもつながるっていうのはなんとなくわかります。でも、その考え自体が「本当に適切な礼儀でありマナーであり常識である」のか疑わないでいられる人が不思議なのです。

 

この例のように、慣習が個人の内面に守るべき規則として自然に根付き、それに気がつかないことがこわい。しかも、本人は何も吟味せずそれに基づく行動を遂行してる。

 

本人がよく考えた上で、結果的に「年上の言うことを聞く」「年上には失礼はあってはならない」などと判断するなら良いのです。一度は考えるというプロセスをぶっ飛ばしていられることがこわいのです。信じられないのです。自分には耐えられない。

 

まあ、例のような小さなコミュニティのいざこざの場合ならば、さほど問題にはならないでしょう。でも、社会全体に広がるとつらい。ある種の価値観を疑うことなく正義と信じる人が大多数なら生きにくいですよね。実際そんな感じの気もしますが。

 

例えば、「結婚して孫の顔見せるのが子の役割」って考えを皆が疑わずに共有してたら、結婚しない人や子どもを生まない選択をした人に不当にケチがついてしまう。そんな権利ないはずなのに。それに、その選択をした本人も慣習に基づいて「自分は親孝行だ……!」って悩んでしまうこともあると思います。別に悪いことをしているわけじゃないのに、罪を抱えて生きていく心地にさせられるのは、つらい。

 

あとは、自分で人生の選択をしたつもりでも、吟味してない価値観が根底にあって、結局はそれに選ばされてるなんてこともありそうです。

例えば、「なんで親孝行すべきなのか」考えたことなんてないのに、「親孝行しなきゃ」という義務感で本人の望まぬ結婚や就労を選択、なんてこともありそう。それとは違って本人が親孝行する理由をしっかり考えてから、人生の選択をする場合とは、意味合いが全く異なると思うのです。なんか形式的で彩りがないような。

 

また、一見両方とも、主体的に選択しているようですが、前者は実は受け身であるのではないかと。でも、慣習が当たり前となってるから「選ばされてること」に気づかなくて「選んでる」と思い込んでしまうなんてこともありそうです。

 

自分の場合は大きな決め事をするときに、慣習を疑わずに思考停止するのがまずこわい。だから、なるべく「本当にその慣習は正しいのか」疑う癖があります。そして、自分なりに結論を出せるように何日も考え込みます。暇さえあれば考えます。紙に書き出して整理することもあります。正直つらいし、苦しいし、生き辛い時もあります。布団の中で何時間も考えがまとまらず、気がついたらとんでもない時間になっていることも、毎日のようにあります。怠けてるわけではないはずなのですが、虚無感。

 

でも、自分が納得しないまま、慣習の吟味を怠ったせいで、損をしたくないなあ、後悔したくないなあって気持ちがあるのです。客観的に絶対正しい答えってのもないと思うので、自分が考えてある程度筋道だった主張ができればゴールかな(とりあえずこわくはない状態)って思ってます。そんなに発想も豊かではないので。

 

例え、その選択が失敗でも、ある程度熟慮して決めた結果なら「どの部分が間違いだったのか」をあとから思い直すこともできるのは良いのかなあと。

 

ただ、最近は、「社会的に真っ当な選択」よりも「自分が納得する(こわくない)選択の仕方」に偏ってしまって、それはそれで自分本位になってるのかもしれません。論理的に筋道が通っていそうでも、説得する相手の感情に寄り添えるかは微妙ってこともあるので危ないです。他人の許可や援助を求める選択の場合は、「相手が慣習をどのように納得しているか」を考慮しないとうまくやっていけないから大変。慣習自体は悪いものではないですし。そこらへんの塩梅が難しい。あと、余計なこと考えて一周回って損しそうですね。そう考えると、慣習を慣習のまま受け入れられるってことも強みなのかもしれません。

 

とりとめもなく長々と失礼しました。

1人インドカレーのすすめ

 私は最近よくインドカレーを食べに行きます。とにかくナンが食べたい。サフランライスが食べたい。しかし、正直、辛いものは食べられない。苦手。

 でも、あんなに美味しいナンやサフランライスより素晴らしいものがあると思う。インドの人の接客だ。たくさんオマケしてくれたり、勘定が適当だったり、10分おきに味の具合を尋ねてきたり、辛さ1を選ぶと「それ味しないよ」とアドバイスくれたり。

 そんな、ゆるいけど優しいインドカレー店の雰囲気に「良さ」を感じてたら、まあまあ画像が溜まってたので、今年のインドカレー(一部違うけど)をまとめておくことに。

 オススメのインドカレーがあれば教えてください。  

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三鷹。飲み物やすい時間がある。

 

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神保町。辛いおせんべくれた。

 

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津田沼。飲み物とお会計でいっぱいおまけしてくれた。

 

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秋葉原。いいにおいの草。

 

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千葉のきぼーるの隣。骨折して通院してた時に。ブロッコリー

 

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北海道旭川市

 

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大阪石橋駅付近。ごま塩御飯がカレーに合わなさすぎて、私はまずく感じた。カレーもなんかクラムチャウダーみたいにヌルヌルで気持ち悪かった。

 

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下北沢のスープカレー?紙に書いて注文。

 

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津田沼。味が美味しいかを聞かれる。

 

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津田沼。サラダくれた。

 

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津田沼。いっぱいおまけのところを再訪。

 

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新倹見川のタージマハルさん。ナンが甘くて美味しかった。2016/11/28追加 

 

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千葉市作草部の さくら
アジアンダイニングバーとかいう曖昧な名前の店。なんでもありなので、焼き鳥とか唐揚げもある。あんこナンもあるらしい。
店員のネパール人がお金の数え方をよくわかってないときがある素敵な店。

1辛は無なのに、2辛から急に辛くなって狂ってるのかと思った(滑舌が悪くて聞き間違えられたのかも)

2018/1/28追加

 

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新宿中村屋

 恋と革命のインドカレー。1500円。少し値段が高いように思えるが、お店が格調高いのと、カレーが具沢山で美味しいのと、トッピングがたくさんついているのを踏まえると、妥当な気がする。本当にサービスが良くて、いいお店。カレーオムライスもあるよ。

 

2018/2/25追加

23年生きてきて初めてネコに触った

  2016年11月1日初めてネコに触った。

 私は23歳だ。23年間一度もネコに触れたことがなかったのだ。実家ではネコを飼っていなかったし、近所にはよく吠える犬しかいなかった。訪問した友達の家にもネコを飼ってるお宅はなかった。当然、猫カフェも行ったことないし、野良猫には逃げられる。そんなこんなで、23年。

 ところで、この世の中にはネコを愛でるブログがたくさんあるが、ネコに初めて触った感動を述べるブログはあまりないのではないだろうか。私にとっては貴重な体験、ここに記しておきたい。

 

 まずは、何故、23年間縁のなかったネコに触りたくなったのか。どんなネコなのか説明しよう。

 それは、10月下旬のことだ。

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 ネコだ。大学の学食に足を運ぶ道中、目の前に野生のネコが現れた。このネコ、どうやら人に懐いているらしい。近づいても逃げない。

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  しかも、目の前で大人しく座っている……!

 そのとき、「そういえば、ネコに触ったことがない!触ろう!」と唐突に思いついた。ネコに向かって手を伸ばしたところまで覚えている。

 しかし、冷静になってほしい。相手は未知の生物である。噛まれるかもしれない。引っかかれるかもしれない。よくわからないダニを移されるかもしれない。この後、私は学食に行くのだ。もしもネコの機嫌を損ねて何かあったら、その日の食事は台無しではないか。

 そんなこんなで、その日は諦めて、作戦を考えることにした。

 ちなみにそのときのツイートがこれだ。

 

正直言うと、触るのが怖いだけなのに、ご飯のせいにしている。

 

 そして、30分後、ネコに触れなかった悲しみを引きずったまま学食を出たら、まだネコはその場にいた。しかも、女子学生がネコを撫で回している。そして、男子学生がネコになんか食べ物を与えている。

 

 私は確信した。「このネコ、触らしてくれる。」

 

 そして、その日はやってきた。だいたい、初めてネコを見てから1週間後だ。実は、ネコとの初対面以後、大学内を無駄にウロウロしていたのだが、出会えなかった。忘れかけていた頃に女子学生が「ねえねえ!ネコちゃん!」と彼氏らしき人に報告していた。なんだって。

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 興奮でブレブレである。ネコがいた。今触らなきゃ、ずっと触れないかもしれない。ネコを知らずに人生を終えていいのか、いや、良くない。正直、陰気ないでたちの自分1人で、ネコを愛でるなんてこっぱずかしい。でも、好奇心に負けた。

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 そーっ……。

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 触れた!逃げない!

次は撫でてみよう。

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そうだ、それまでに、軽くネットでネコの触り方を調べていた。顎の下が気持ちいいらしい。本当だろうか。

 

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 この顔である。御満悦そう。こんなに目を漫画の記号のように穏やかに細めて、不快ってことはないだろう。逃げないし。嫌がられたらツラい。喜んでることにする。

 

 初めて、ネコに触れた。触れたのだ。自転車に乗れたときより嬉しい。

 まず、ネコはとてもあたたかかった。よくある、コタツでネコを膝に乗せてる老人の図、その気持ちに近づけたかもしれない。布団にネコと寝るとポカポカなんて話も本当なのかもしれない。とにかくあたたかい、それが第1の感想。

 そして、毛がふわふわだった。外にいる動物だから、ベタベタしてたりするのかと思ったが、ふわふわしていて、手に不快感もない。変なにおいもない。

 さらに、思ったより無抵抗だった。大学のネコだから、人に慣れているのだろう。それでも、逃げられるかと思ったが、大人しくされるがままだ。それでいいのか。

 

 ネコに触れた。それだけで嬉しいが、まだ道は険しい。私がネコに対して心を許せていない部分も存在する感じがする。ネコに触ったあたたかさが、不快ではないが、ずっと変な感覚で手に残っていた。また、どこで手を洗おうか真っ先に考えたし、ネコに触れていない左手でペットボトルを開けるようにしてしまった。まだ、私の中でネコを完全に受け入れていないのだろう。

 今度は、ネコを抱くことやネコと遊ぶことを目的としたい。そして、知り合いではなく、友達くらいになりたい。

 でも、ネコをとても好きになれそう。

 

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 嫌われたっぽい写真も偶然に撮れてた。