とりめも

東京のおいしいインドカレーの店を教えて

自意識・SNS・陳腐なマウント

本日も自意識が最高潮に高まる午前一時。外に出れば「自意識過剰でやーね」なんて他人の陰口を叩くものの、そう発する本人こそ「自意識過剰だと思われているのではと気にする自意識」に支配されているものである。人間である限り自意識からは解放されないのではあるまいか。

 

ところで、自意識を定義することは難しそうだ。ここでは、自分自身に対する関心くらいの意味で使っていく。細かいことは気にしないでいただきたく願う。

 

私は自身を大切にしている方であると自己評価をする。このように書いている時点で、ここまで読んでくれた読者に「こいつ本当に自分のことが好きだな」なんて思われることを想定しているわけだ。姑息な自意識である。

 

私のSNSの投稿は保険だらけだ。あらゆるところに、炎上しない・叩かれないための保険のエッセンスがまき散らされている。

 

まず、SNSなんかでは極力面倒になりそうな議論は避けるようにしている。「あ、面倒になりそうだな」って空気を感じると「そうですよね~~」「たしかに、それもありそうです」なんて言葉を濁して適当にいなす(なんでもありの精神でいると安パイである。ただし、不倫に関する話題でその思想を持ち込むとなぜか叩かれる)。

 

ポーカーでいう「降りる」というやつだろうか。相手との議論に勝ててはいないが、負けてもいない。釈然としない社交辞令のみがSNSの海に無限に生成されていく。実に不毛、である。誠実さなどない。

 

ただ、時々どうしても一言何か言いたくなる場面もある。私の場合、教育関係の話と偏狭すぎる思想の話である。後者は面倒くさくなりそうだから置いておいて、前者に関しては、自分が教育関係の大学院を出ているだの教員採用試験に受かったことがあるだのというちっぽけなプライドに由来する。SNSで教育に関心の高い人たちが、学校教育に関して身勝手な物言いをしているものが拡散されていると、ついつい「ウケる」と言いたくなるのだ。(具体的な事例は書かない。すぐサーチできるから。)

 

教育問題は何故かとかく感情と当人の感覚で語られがちだ。

 

しんどくなるからあまり見ないようにしている。

 

「え?昔と今じゃこんなに違うけど?どの時代のどこの国の話してます????」とか思っちゃう。(私の見解も間違っている可能性は大いにあるのだが。)最近の言葉でいうとマウントになるのかもしれない。本当に良くない。教育学も学問として確立されているわけだし、「感情」のみで壮大な日本の教育を語りだす人が持ち上げられているとついついガン見してしまうのだ。次第にそういう人は、自分の経験した特殊な教育から世の中一般を語りだす。そうすると、付け焼き刃のつたない知識を武器に私はマウントをとりたくなるのだ。その気持ちもわかってほしい。こんなものわからんくていい。

 

唐突だが、「君の手がささやいている」という難聴のお母さんが出てくる漫画がある。作中では、勉強が救いようがないほどできない一人娘の千鶴が塾に通いだすのだが、「自分よりバカな子がいた」と喜ぶシーンがある。すると、母親のミエコは驚愕して「そんなことを言わせるために塾に通わせたんじゃない、塾辞めよう」なんて言い出す(セリフはうろ覚え)。それと同じだ。SNSの不勉強な自称教育家と張り合うために修士を出たんじゃない。そんなことはわかっているのに。私の頭には千鶴が何年もいる。

 

文字に起こした時点で面倒だ。

 

そんなわけで、基本的には他人と教育の話はしないようにしている。初対面の人に政治と宗教の話がタブーみたいな感じ。多少教育に足を突っ込んだ人間の嫌なところが出てしまい、面倒を引き起こしてしまう予感がするのだ。いや、引き起こしたこともあると思う。

 

だが、どうしても物申したい夜もある。

 

人間だから。

 

そういう時には、「違うかもだけど」「偏見かもだけど」なんて稚拙な枕詞をつけて、防弾ジョッキを身にまとった気になっている。叩かれても「だって、偏見かもって書いてるじゃ~~~ん!!!」って言えるから。万が一の保身保身保身。「嗚呼ッ、性格が悪い」なんて思いながらも、どうしても言いたくなる場面があるのだ。そんな陳腐な保身をしても、実際のところ、他人は別にそこまで私の投稿に目を光らせていないのにね。

 

また、あらゆるSNSの投稿ボタンを押した直後に「もしかしてこれフォロワーの〇〇さんの気に障るかな。面倒なことになるかな」なんて自意識が発動し、即座に削除をすることが日々何度もある。私の投稿は生き物だ。どうせたいしたこと呟いてないのに。何度でもいうが、他人は、私のつぶやきにそんなに関心がない。

 

ここまで書いて「反省しています。これからの私はこのように変わっていきます。一つに……」なんて、今後の目標を表明していけば実に生きやすいのだが、そんなことする気も起きない。磨き上げられた自意識がこびりついているから。