とりめも

東京のおいしいインドカレーの店を教えて

元父が教員であるということ

今週のお題「おとうさん」

 

我が家は母子家庭だ。4年生か5年生の時に両親が離婚した。原因は父にあるのだが、それはまあよい。

 

父は実家のある北海道の公立中学校で教諭をしている。

そう、父は先生だった。

 

そして、私も先生を目指した時期があったのでよく分かるが、先生というのは人の記憶に残る職業だ。数多くの人の生きる支えになるし、生涯にわたって恨まれることもあるし、思い出深い学校生活のエッセンスとなることもある。

 

だって、みんなTwitterで昔の先生の話をするでしょ。大人になってSNSに書きたくなるほど記憶に残る職業なのだ。その思い出が良いか悪いかはおいておいて、人の一生に大きくかかわる仕事なのである。

 

――

 

先生の子どもであったことで、嫌だったことが1つある。

 

それは、色々な人が父の思い出を語ることだ。

 

ついこの間4月の話。会社の研修で同じグループ会社の人と活動する機会があった。互いに初めましてということで自己紹介をするのだが、同郷の男の子がいた。

 

おやおや??????

 

「出身は?」

旭川市

「高校は?」

「〇×高校」

なんて感じにお互いに驚きながら、班の他のメンバーを置いてきぼりにして出自を確認していったのだが、出身中学校までさかのぼると聞き覚えのある学校名が飛び出した。

 

父のかつての勤務校だ。

 

「花田大貴(仮名)って知ってる??うちの父なんだけど」と尋ねると

「あーーー!!!!」と彼は大声をあげた。道端で久々に出会った友人に声をかけるように。

 

「花ちゃんの娘なの!!!!!!確かに顔似てる!!!!!俺、サッカー部だったんだよ!!!!うわー懐かしーー!!適当でいい感じの先生だったなー!!!!」

 

あ。

 

そっか、懐かしい思い出の人なんだな。不思議な気持ちだった。

 

うまく言えないけど、面白いコンテンツになってしまったような気分だった。彼は、同窓会だったり同じ部活の友人に会うことがあれば「花ちゃんの娘に会った!!」と自慢するかもしれない。

 

先生というのは普通の人でいられないのかもしれないな、と感じた。

 

よく考えたら、小さいときも父と出かけると教え子と出会うことがあった。教え子のお兄さんお姉さん(といっても中学生)は面白いものを見たようにニコニコしていた。先生の子どもや奥さんって普段見られないものね。

 

父と別れて10年以上たってから、尋常じゃない精神がないと続けられない職なのだなと実感させられた。

 

唐突だが、私は一人でご飯を食べたいときなるべく近所の店に行かないようにする癖がある。それは油断している時に知り合いと会いたくないからだ。先生になっていたら、困り果ててしまっていただろう。

 

――

 

あと、もう一つ似たような話がある。

 

教育実習だ。

 

私の実習先は地元であったので、父のことを知っている人が多かった。

 

地元の北海道の中学校教員はだいたい6年に1度転勤となる。転勤する地域はそこまで遠方ではなく、大体の場合は北海道を何個かのブロックに区切った中での転勤となる。

 

父は、私が教育実習に行ったときには勤続30年くらいだったはずなので、5か所くらいで勤務をしていることになる。また、中学校や高校の先生だと、地域の部活の大会で何度も他の先生と顔を合わせることもある。サッカー部を長年顧問していた父は、地元のサッカー部顧問界隈では顔を覚えられている存在であった。

 

そんなこともあってか、私が担当した第一学年の半分以上の先生が父のことを知っていた。

 

狭い地域性であることもあって、教育実習生歓迎の飲み会で、そこらへんを突っ込まれる。私も、「父のことを知ることができるかも」というたくらみがあったので、想定内であるのだ。

 

「お父さんに似て顔がワイルドだね」

「お父さんと何年会ってないの?」

「お父さんと同じ勤務地だったことあるよー。かっこいいよね」

 

なんて質問を受ける。気がつくと、私の歓迎会なのに、私の話じゃなくて父の話をさせられていた。さすがに「勘弁してくれ」という感情が芽生えた事ははっきり覚えている。

 

10年以上会っていないから父の記憶はあまりない。

 

とにかく濃い顔で、目がくぼんでいて、彫刻のような顔だった印象はある。あと、身長が180センチくらいで高い。煙草を吸うし、あまり風呂に入らないから、いつも臭い。衛生面がいい加減なので、当時私が飼っていたセキセイインコの糞を頭につけて通勤してしまってたこともあった。なんか、いつもグレーのくそダサいトレーナーと黒いジャージを着ていた。勤務後はパチンコ店に寄るので帰りが遅い。そのため、朝に5分くらい会うだけの印象。お正月とお盆は学校がないので家にいるからうれしかった記憶。離婚が決まってからはよく遊んでくれた。小学生の私を勤務先の中学校に連れてってくれた。美術部が描いたパワーパフガールズの絵が上手だった。体育館でサッカーのリフティングを教えてもらったがまるでできないし疲れるしつまらなかった。中学生のお兄さんが遊んでくれたこともあったけど、サッカーの楽しみ方はよくわからなかった。この頃は習い事が終わると父が家にいることも増えた。水泳教室から帰ると、スカパーで放送中だったドラゴンボールを暗い部屋で父が1人で見ていることがあって、哀愁もあって薄ら怖かった。

 

多分今はそのどれとも違うんだろな。

 

10年も経つと、よくわからないのだ。

 

私が知らない身内の話をいろんな人が話してくれる。初めての経験でしんどくなった。

 

「やっぱりお父さんが先生だから先生を目指したの?」

なんて質問も至極真っ当だ。実際はそんなことはないのだが、そうなのかもしれない気してくる。

 

酒の酔いもあってよくわからなくて、脳が処理しきれなかったころに

「お父さんのことは好きなの??」

という質問が飛んできた。

 

よくわからない。

 

隙も嫌いも、覚えていないので、何の感情もない。別に恨んでもいないし、恋しいわけでもない。無、なのだ。あと実習は2週間残っている。

 

「嫌いではないです。」

 

私が精いっぱい頭を使って答えたなるべく嘘のない返答だった。

 

「そう!嫌いじゃないのね!」

 

先生たちはほっとしていたようだった。父のことは私はもうどうでもいいのに、他人がこんなに気にしてくれているなんて、とても面白く感じられた。でも、どっと疲れた。

 

――

 

私は父と断絶された生き方をしているわけだし、今後もそれでよいのだが、誰かにとっては父がかけがえのない人になっているのかもしれない。そこまでいかなくとも、父は誰かにとっては気になる人として生きているのかもしれないし、それなりに誰かの思い出になっているのかもしれない。

 

教員の娘だったからこそ体験することができた。

 

父の日は一度も祝ったことがないけれども、どうかお元気でいてくれるといいですね。顔だけは似てるとよく父を知っている人に言われるので、似てるのでしょう。それはよかった。

 

あと、あと、母から聞いた「職員室で給食が足りないからかつ丼かなんか出前を注文して怒られた話」は本当ですか。この話めっちゃ好き。「へー学校の先生ってそんなことやってもクビにならないくらいゆるふわなんだな」って舐めきった態度で教員免許を取得して教員採用試験を受けました。最近分かったけど、学校の先生は、職員室に出前を頼まない。

 

 

はい、では、さようなら。