とりめも

東京のおいしいインドカレーの店を教えて

震災と学校の模範の思い出

雪国の公立高校に通っていた。3月の春休み直前といえどまだまだ寒い。暖房の行き届かない廊下はクソ寒く、貧困を際立たせる。何故か照明も薄暗い。景気が悪く、単純な言葉で言うと嫌いだった。

 

地方進学校ゆえ、大体の生徒が勉強に関心がある。冷え冷えとしている職員室の前、上着がないと立ってられない。その近くに立地する書道教室は我が高校の中でも1位2位を争う寒い部屋。最高学年の受験生はそこで勉強するのが、「できる生徒」という風潮があった。あと、単純に広かったので都合が良かった。

我々は高校二年生の終わりにさしかかっていた。三年生も後期入試をほぼ終え、進路が決まる時期。それぞれに悲喜交々の感情が芽生えている時期だ。サクラが咲いたり散ったり。そうなると、でかい顔をしていた三年生も数日後の卒業式まで学校に来ない。我々、二年生が書道教室を使う番となるのだ。

 

自分は書道教室での自主学習に対して反対していて、それは少数だった。

 

私は学年に3人しかいない書道部の部員だった。

道教室には、当然、書道用品がたくさん揃えられているのだが、自習する生徒が集まるため放課後に書道ができない。そのため、我々の活動は書道準備室で行うことを余儀なくされた。準備室……。

一度あまりに腹がたつから、雨合羽を着て*1ドカドカと書道教室に入り、全身からかしゃかしゃ音を立てながら書道用品を物色してみたら、上級生に舌打ちをされた。舌打ちをしたいのはこちらである。そんなとこで勉強すんな。書道をさせろ。

そんな捻れた個人的な悔恨もあり、書道教室で勉強することがない高校生活であった。

とはいえ、自習している生徒にはさほど文句があるわけではなかった。どちらかというと、それを推奨している教員が気に入らなくて仕方なかった。自分は、父親が教員であったこともあり、生徒じゃなくて学校の仕組みが要因であることをなんとなくわかっていた。なので、恨む相手を適切に相手取ることができるのが悔しい。もうちょっと若者らしく手当たり次第自習する生徒に理不尽に当たり散らしても良かったと思う。*2

道教室で勉強することを良い生徒の像にはめ込むな、三年間ずっと悶々としていた。

まず、クソ寒い部屋だし、体調が悪くなるリスクがある。それに耐えるのが受験生のあるべき姿みたいな風潮があったのだが、そんなわけねえだろって感情しかわかない。幼いお子さんのいる書道部の先生が定時を過ぎても受験生のために書道教室の空調の管理をしていたのが印象的だった。余計な仕事増えるだろうに……。しかも、空調を管理したどころで無駄にだだっ広いので、部屋全体に温風が行き渡らない。虚しい。

高校一年生のある日、書道教室が使用禁止になって、学校中の話題となった。飲み物の紙パックが放置されていただとかそんな理由だった気がする。くだらねえなと思うのだが、生徒にとっては一大事だ。貴重な自習場所がなくなるのだから。

一年生はさほど関係ないのに、一年生も含む学校中で大きな話題となっていた。ある日の英語の授業で、担当の先生が「書道教室が使えなくなることについてどう思いますか」と何人かの生徒に発表させた。目つきが悪いので、「目があったので」と指名された。「挙手とかしてないんですけど」と言うと、「いいから答えてみてください」とのこと。

「正直使えなくてもいいと思います。三年生に自習されると、私が書道できないので、そもそも自習しないでほしい。ずっと禁止してほしい」みたいなことを言った。正直に思ってることを話した。すると、教室が静まり返ってヤバイ感じになった。スクールカーストが底辺で身の程知らずなのを忘れていた。

先生は狼狽し「でも、みんなが使いたい場所だからね」などと優しくまとめあげて、別の生徒を指名した。次の生徒は「みんながマナー良く使うべき」など、求められている至極真っ当な受け答えをしていた。

 

話を戻そう。

高校二年生の3月。東日本大震災が起きた。その時は、午後3時前くらいだっけ。なんかしらんけど早く授業が終わった日で、翌日に模試を控えていたため高校で自習をしていた。

なんかグワングワン揺れたな〜と思っていると、高校の先生が校内中を駆けていく。近くの書道教室の方からは色々な声が聞こえる。自分がいたのは、暖房が効いた談話室。暖かい上に自動販売機があるのが素晴らしい。部屋全体がココアの甘ったるい匂いに包まれているのも好きだった。

 

談話する人がいないので、1人で占領していたのだが、書道教室からの色々な生徒の声を耳にしながら「こういう時の心がけがなんか受験生としてダメなんだな」って気にさせられた。1人だけぬくぬくとしているのが悪いような気になった。今考えると、私もなんだかんだで高校の風潮に染められていたのだ。さほど悪いことしてないのに。

 

当時はスマホではなく携帯電話を持っていた。携帯についているワンセグでニュース番組を見ると、行ったことのない東北の街が濁流に飲み込まれていた。北海道に住んでいる自分には何がなんだかわからなかったが、異常事態であることは察した。

 

帰りに乗るいつものバスではバスのおじさんが道を間違えていた。初めてだ。「申し訳ありません」と流れるアナウンス。みんななんとなく仕方ないって雰囲気があり、誰も咎める人はいなかった。

 

翌日、担任の先生が地震についての話をした。「被災地の人は模試を受けれないのだから、あなたたちは感謝しなさい」とのこと。「こんな大変なことになったんだから、明日の模試休みにならないのかな」と思ってた自分がまた悪いやつのように思えた。これは実際、怠惰なのだが。

 

学校独特の「かっこよさ」みたいなのはあると思う。

 

我々の場合は、模範的な受験生であり、書道教室での自習がその一つであった。それを素直に受け入れられない自分は3年間しんどかった。

 

そして、震災はそれを際立たせた。

 

2年次に親と進路で大揉めして 一時的に聴力が下がったりしたのだが、3年生になってもしんどいことがあると耳の調子が悪かった。耳がしんどいと、頭痛やめまいがする。だいたい精神的な要因なので、行きたくない模試があると怠さを感じてちょくちょく休むようになった。*3その度に「被災地の人は模試を受けれないのに」という申し訳なさが襲ってくる。

 

あと、うちの母校は卒業式の退場の際に生徒が在校生に向けて飴やチョコレートを投げる風習があった。それも1つ上の学年の三年生のあるクラスが「被災地に申し訳ない」という理由でやめた。シンプルに退場する姿がかっこいいと評判になった。それもあり、1年後の私の卒業式の時は物を投げる人がいなかった。あれも、人の「申し訳なさ」を上手く利用している。

実際に褒め始めたのは生徒よりは先生方だろうし、その根底には震災がどうこうよりも「片付けが面倒だからそもそもやらないでほしい」って思いが長年あったはずだ。*4うまいこと、震災に便乗して「不謹慎」に絡めたものだ。

該当のクラスは立派だろうけどあんまり褒めると、飴やチョコを投げた他のクラスが「人としてレベルが低い」みたいな印象になりそうでなんだか嫌だった。せっかくの卒業式なのに……。

 

震災が全て悪いわけじゃないが、被災地じゃない進学校でも「みんながより模範的であるべき」 みたいな空気感があったと思う。怠惰な人間としてはしんどさがあった。震災直後に受験生になった私には感じなくても良い申し訳なさがつきまとっていたなあ、と。どうせ模範的になれないんだから、もっと気楽に構えてても良かったなあ。

 

覚えてるうちに書いておいた。

*1:書道パフォーマンスの練習を準備室の畳二畳分ほどのスペースでやらされていた。墨が飛ぶからカッパを着ていた。

*2:生徒はひたむきに頑張っているので迷惑でしかない

*3:なんだかんだで元気でも受けたくない科目があると休んでたと思う

*4:お菓子以外に、下級生に向けてメアドが書かれたメモやコンドームが投げられることがあった。私はなぜか未開封のチューブの練りわさびを手渡しでもらったことがある