とりめも

東京のおいしいインドカレーの店を教えて

上野の森美術館の「フェルメール展」が快適で濃厚だったからオススメさせて

お正月引きこもりまくってたので、せめて1/3は外に出ようと思い、フェルメール展に行ってきました。

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上野の森美術館でやってるフェルメール展ですが、展示を見る前に気になっていたポイントが2点あります。

フェルメール展

 

気になってた点

①どのような展示構成なのか

現存しているフェルメールの絵画は35点で、そのうち最大9点を展示することがホームページに書かれていました。

しかし、そこそこでかい美術館で行われる特別展では色々な展示物合わせて70〜100くらいはある印象です。*1

一般2700円のチケットで9点だけってことはないでしょうが、フェルメール以外の絵をどのように展示するのでしょうか。

事前予約制の効果はあるのか

この展示、事前予約制を取り入れてました。

例えば、「1/3の17:00〜18:30のどこかで入場してね!」みたいな枠が決められて、枠ごとにチケットを購入できます。ちなみに、観覧する時間には制限がないので、じっくり見たい人は閉館まで何時間もいて良いことになります。

このような入場制限がある特別展、ジブリ美術館では経験しましたが、そうじゃない美術館では初でした。*2

とはいえ、フェルメールだと人気でしょうし、遅い時間に行くと満員でぎゅうぎゅうでしんどいのでは……? とも、思ってしまったり。

結論 快適で濃厚

結論を先に書いてしまいましたが、個人的にはとても満足でした。あ、お金とかはもらってません……。*3

他の美術展ではあまりない試み*4だなあと思ったり、この配慮が嬉しいなって感じた点をまとめます。行って欲しいから……。

解説が手元にある

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入場口で無料で貰えるやつです。

よく美術館に行く方は違和感を覚える方もいるのではないでしょうか。

多くの場合*5、A4くらいで4ページくらいのパンフレットで、各作品の作品名、作家名、時期、画材、大きさ、所蔵元のような情報がリスト化されたものが頒布されます。

しかし、今回は小さい冊子でした。

中には作品名、作家名、時期、画材、大きさ、所蔵元のいった基本的な情報がページ毎に1作品ずつ書かれています。さらに、各作品の解説が書かれています。*6

そのかわり、展示室にはキャプションがありません。手元の冊子を見れば良いのです。

これが本当に快適。

私の場合、乱視が酷くてなかなかピントが合わないので、混雑している会場だとキャプションの文字が小さくてそれをわざわざ読むのがしんどいときがあります。読みたいのに読めなくてモヤっとしたまま次の展示に足を運ぶ時はとても悲しい……。視力の問題以外でも似たような経験がある方はいることでしょう。

あと、絵画の横のキャプションって、展示によっては絶対用意されているわけじゃないんですよね。気になる作品なのに、どういう背景で成立したものなのかわからなかったりして悲しいことがあります。*7図録を買えば良いのでしょうが、その場で知りたかったりもするわけで……。

しかし、今回のフェルメール展は全作品カバーされております。親切……。 *8

音声ガイド無料

音声ガイドが無料で貸し出しされていました!だいたい、500円とか700円するのでいつも利用してなかったのですが、今回初めて使ってみると良いものですね。

冊子に書ききれない部分を説明してくれたり、隣に展示されてる絵との比較や、のちの鑑賞でポイントとなる部分を教えてくれます。ちなみに、石原さとみのナレーションです。

音声ガイドが無料も初めてだったのですが、無料だとかなり多くの人が利用しているようでした。

そのため、他の展示で経験した「早く進もうとしたら、音声ガイドの人が突然立ち止まって危ない」みたいな現象が改善されます。音声ガイド使う人の方が圧倒的に多いので、みんな立ち止まってるから考えなくても予測できます。

あと、音声ガイドを使う人が圧倒的に多いからか、会場が静かですね。そこそこ人がいるのに、今まで経験した展示より雑談が少なめな印象でした。

49展示くらいでちょうどいい&展示構成のワクワク感

※美術館側からの演出のネタバレ的なのが嫌な人は飛ばしてください

 

フェルメール展の作品数は約49展示*9となっています。

これをどう捉えるかは人それぞれですが、前述したとおり、大きな展示にしては少ないように感じます。

だから、物足りないのかというと、個人的にはそうでもなかったです。

普段、美術展にいくと70や100くらいの作品を一気に見ることになるのですが、自分は情報が多くて疲れるタイプでした。なので、49くらいで「ちょうどいいな」と感じました。ですが、ここらへんは本当に人それぞれだと思います。じっくり見て1時間弱くらいでした。

あと、この展示は、1番最後に案内される部屋にフェルメールの作品が9作品展示される展示構成でした。そうなると、他の作品がこれ以上多いと、「焦らされすぎてしんどいのでは?」って気もします。

また、展示構成がフェルメールの作品以外は穴埋めというわけではありません。それぞれに見応えがあるのです。各パートごと、人物画や宗教画などのテーマごとに展示されており、オランダの絵画の特徴を概観できるようになっています。

そして、最後にフェルメールだけの部屋に案内されます。音声ガイドの石原さとみも「いよいよフェルメールルームです」みたいなことを言ってくれて、「ついに……」と息を呑む感覚。

それに、これは実際に見てほしいのですが、フェルメールだけの部屋にたどり着くまでの通路が真っ白に光っていてかっこいい。RPGのラスボス直前のなんかカッコいい道みたいなワクワク感。そして、フェルメールの部屋に入ると、一転して暗めで落ち着いている様子なんですよ。「もしかして、フェルメールの作品の特徴である光と陰なんですかね??」とか考えちゃったり。*10

で、フェルメールと対峙するわけですが、これまでに見てきた別の作家と通ずる部分があったりするのです。いきなりフェルメールを見せられるよりも、「あ〜、なるほど」感を味わえます。ちょっと予習して、授業に出た時みたいな感じ。

あと、この展示はフェルメール以外の作家もしっかり解説してくれてるのが嬉しい。フェルメールが好きな人なら他の好きな作家を見つけるきっかけにもなるのではないでしょうか。

予約だからこそ快適

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前述した通り、この展示は予約制です。

だからこそ、そこで見に行くのをやめる人も多いと思います。私はネットでチケットを購入してセブンイレブンで発行したのですが、「ネットで購入」の時点でカロリーを高く感じる人も多いことでしょう。(実際、ちょっと面倒くさい)

ちょっと手間だからこそ、本当に展示を見たい人が集まりやすくなることでしょう。だからか、全体的にマナーの良い方が多かった気がします。自分の時は、うるさい集団がいないのが嬉しかった。

あと、予約制だから長時間並ぶこともないですし入場もスムーズでした。チケット制なので、時間を調整すれば異常に混雑するということもなさそうです。各枠の終わり間際に行くとわりと空いてる みたいなことがHPに書かれてました。

私の場合、17:00-18:30が入場枠のチケットを購入し、18時に会場に着いたのですが待ち時間0でした。通常はもっと早く閉まるのですが、夜間開館日を狙いました。

(ただ、ツイート検索すると展示期間初期は予約してもぎゅうぎゅうだったようですね。今はだいぶ落ち着いたのかな?展示期間終了間際にもまた増えるのかな。)

まあ、何らかの恩恵も受けられるなら、今後このような運営の展示が増えると嬉しい気もします。

個人的には、展示の量が少ないので入れ替え制でも問題なさそうな気もしましたが、割と高めの値段なので反発も出そうだし、そこらへん難しそうですよね。運営って大変なんだろうなあ。

まとめ

実は、チケットを購入するときに一般2700円って、結構強気の価格だなと感じました。

フェルメールともなれば作品を集めるの大変だとか、いろんな事情があるんだろなーとも思いますが、他の展示だと1500円〜2000円くらいの値段帯の印象です。2500円をこえる展示はなかなか見ない。

とはいえ、展示が快適すぎるし、いちいち丁寧すぎるので、普段の展示より濃厚な鑑賞ができたように思えます。なので、個人的には大満足ですし妥当だと感じました。

予約手数料無料、音声ガイドが無料、解説の冊子が一人一人配られて2700円ならむしろ他の展示よりもお得な気もしました。

東京だと2月頭くらいまでやっていて、そのあと関西に巡回するようです。フェルメールの作品をこんなに一気に観れるのはしばらくないと思います。ぜひ、ご検討を……!おススメです!

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*1:個人の感覚ではあるが、ちょっと怖いので調べてみた。例えば、同時期に東京都美術館で行われているムンク展は101作品、国立西洋美術館ルーベンス展では70作品が展示されているようだ。

*2:本当に関係ないが、2018年5月くらいに行った横浜のヌード展は年齢による入場制限がなかったはず。数は少ないが子どもがいて良かった。

*3:あくまでも個人の感想である。美術館に詳しい人とかだと何言ってるんだこいつって思うかもしれない。

*4:私が行ったことのある国内の展示の範囲で。当然、例外はあるだろう。

*5:これも経験上。まあ、あながち間違いでもないだろう

*6:冊子の奥付に無断転載するなって書いてたので写真は控える

*7:京都芸術センターのボランティアをしていた時に、キャプションを一切用意しない展示があった。お客さん自身に感じて欲しいなどという意図があってのことだ。そういう例があることは把握している。ここでは、そのような意図のある展示じゃない場合のキャプションについてを指している。

*8:宗教画の展示も多かったので、何が何のモチーフなのかを丁寧に書いてくれていた。素人にはありがたい。

*9:日によって少し変わる

*10:実際のところは知りません。勝手な予測です

*11:飲食店が混んでたので上野駅でメルヘンのフルーツサンドを買った。これ、美味しいですね。美術館の近くにベンチがあって便利。

2018年まとめ的なの(執筆中に寝落ち)と今年の目標

今週のお題 2019年の抱負 ということらしいので……。

あけましておめでとうございます。

1年の最初というと今年の目標でしょうか。私も書きたい。

でも、2018のまとめをできてないんですよ。書いてたけど執筆中に寝落ちしました。なので、寝落ちするまでの文章をあげたうえで抱負を考えます。ノー推敲のガバガバ文章です。

 

2018年のまとめ(寝落ちするまで)

みんなやってるから書きたいけど、コミケ終わりに爆睡してしまったため後1時間で2018年がおわる。簡潔に。

 

学生から社会人になった

これが個人的には1番大きな変化ですね。修士課程にまでいたので、私は地元の同級生(受験戦争がない田舎なので大学に行かない人も多い)より学生時代が長い。

進学を選ばなかった同級生が早めに社会人になると「あんたと比べて○○ちゃんはもう働いてて偉いわね」だとか言われて、理不尽だと感じていたのだが、ついに脱することができた。

入社式前日は「明日入社したら家に帰れないのでは」というわけのわからない不安に襲われていた。勿論、きちんと帰れてる。

学生時代と異なり、1日9時間会社にいるわけなのですが、日常の中に人に言えない話の割合が多くなりますね。自分の場合、職場では余計なことを言うのが怖くてどんどん寡黙になっています。職場の飲み会ではまだ怖くてお酒が飲めない。

あと、小さい頃、大人ってなんで仕事の話で盛り上がるんだろうって不思議だったのですが、今からわかるかもしれない。日常の大部分が仕事だからだよ、と。

会社がある生活にも慣れてきたので、副業もどんどん数増やしたい。今年はちょっと数が少なかったかなー。うちの職場は副業が許されているので、ライターも制度上はできる。しかしながら、体力がもたない。1日中PCを見る仕事なので、帰宅してPCをつけると目の奥が痛くなって目が開けられない。こういうの、朝のうちに記事を書くだとか、どうにかやりくりしていきたいですね。2019年は頑張れ。

 

体力がない

↑でも述べたのですが、体力のなさを感じる一年であった。

私は環境の変化に慣れるまで時間がかかり、精神をどっぷり疲弊させるタイプだ。平日は常に緊張しているような感じで、休日になると力が抜けて動けないことも度々ある。

身体が動かなさすぎて、読書ができないし、美術館に行けない。カバンの中の本を取り出すのに時間がかかる。本が重い。

こうなると、どんどんバカになっていくようで不安だ。自分は愛想が悪いので、さらに無思考なバカという要素が加わると本当に救いようがない状態になりそう。だから、将来はせめてよく考えるおばさんになりたい。社会人になるとその意識が高まり、ぼんやりしつつも「頭空っぽなアラフォー女性になりたくない」という危機感が襲って来るのです。でも、動けない。難しい。

この間、ちょっと早く退社して森美術館に行ったら、楽しくて楽しくて仕方がなかった。展示の意図をキチンと汲み取れてるのか、私に芸術を語るに足る素養があるのか、というとどちらも「否」としか言いようがないのだが、展示室をクラゲのように自由にフラフラできるのが嬉しくて仕方がなかった。

体力がないなりに、そういう体験をもっと増やしていきたいものだ。

 

イベントをやった

夏くらいから特に仲良くしてもらってるもひもひさん、少年Bさんとイベントを企画することが多々あった。

私はチームワークや細かいことは苦手なのだが、うまく分業できていたと思う。

今後は、惰性でやるというより、楽しいからやるという状態が続けば、それはそれは良いことだなあと考えている。

 

ここで寝落ち

 

2019年の抱負

眠すぎて書いた内容あまり覚えてないし、推敲となんもあったもんじゃないのですが、意外と長々と具体的に書いてますね。

 

このあとには意識低い読書会という自分が勝手にやってる催しのことを取り上げて、「これも続けばいいけど、楽しくないのに続けても良いから、楽しく続けば嬉しいですね。飽きちゃったらそれはそれで役目を果たしたってことで。」みたいなことを書くつもりでした。

 

あと、ちょくちょく、「〜をこうしたい」って内容が書かれてるのでそれが抱負ってやつなんでしょうね。

 

まとめると、体力をつけて本読んだり美術館に行く が目標ですかね。リハビリっぽい。執筆中に寝ない体力もつけよう。

 

しかし、

みんなやってるから書きたいけど、コミケ終わりに爆睡してしまったため後1時間で2018年がおわる

って書いてるうえでさらに寝落ちしているのですから酷い話ですね。自分事を他人事みたいに書くけど、もう少し年末の特別感を持って欲しいものですよね。

 

では、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

PayPay(ペイペイ)の2割キャッシュバックって本当?ビックカメラのポイントはつくの?100億円キャンペーンとは?カメラ買うついでに試してみた!

胡散臭い記事のタイトルの真似をしました。昔、そういう教育関係の記事を量産するバイトをしていたことがあるので、なつかしい。*1

 

内容はタイトル通りです。PayPay使ってみたよ、って話です。あんまり長く書きたくないんで、手短に書きます。買い物しただけだし。

 

 PayPayとは?100億円なんとかキャンペーンって?

PayPay - QRコード・バーコードで支払うスマホアプリ

これです。スマホをかざすと決済ができるサービスです。

 

で、今やってるキャンペーンがなんか話題。

 

簡単に言うと、期間中にPayPay加盟店で買い物をすると購入価格の2割バック(上限はある)がなされる仕様となっているようです。*2

 

あと、抽選で、最大10万円まで全額バックされる場合もあるようです。これがツイッターではPayPay ガチャなどと言われています。

 

「2割バックでも嬉しいのに、全額バックなんて最高では??」 ってことで、話題になりました。

 

いつまでなの?

■キャンペーン期間2018年12月4日(火)9:00~2019年3月31日(日)23:59

と公式ホームページには書いてあるのですが、

※キャンペーン期間中であっても対象のキャンペーンにおいて、PayPay株式会社の負担する付与金額が100億円に達した場合、本キャンペーンは途中終了いたします。また、付与金額を追加する可能性があります。その場合はPayPayホームページにて事前告知を予定しています。

 

とも書かれております。

つまり、「キャンペーン期間中であってもPayPay株式会社側の負担額が100億円に達したら、キャンペーン終わるかもよー」

というわけです。

「キャンペーンが終わる前に高額商品を買わなきゃ! 」という気持ちになりますよね。そんなわけで、そこらへんの電気屋が大混雑しているようです。

 

使ってみたよ

ボーナス出るしカメラを買いたいなー と思ってた矢先、PayPay が流行ってたので「本当に使えるんか?」ってことで試してみました。

それだけです。

 

使えるし、ビックカメラのポイントももらえる。

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労働を頑張ったらボーナスがもらえるらしいので、カメラ買いました。

 

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カメラのセットと32GBのSDカードで7万円弱でした。

 

お、結果として、ちゃんとバックがきていますね。10万円バックは当選しなかったけどでかい。

 

あと、今回はビックカメラで買い物をしました。ビックカメラの店舗のポイントがついてくるのかも気になりますよね。

こちらも付与されます。

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高額商品買っただけあって、ポイントもデカイですね。

 

あと、私はSONYのカメラを買ったのですが、SONYの方でもキャッシュバックキャンペーンをやっておりまして、これも重ねて適用されるみたいです。ラッキー。

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5000円バックがなされます。

 

そんな感じで、

PayPay  13637円相当ポイント

ビックカメラ 5455円相当ポイント

SONY 5000円

 

計24092円(ポイント)

 

追記:後日楽天カードポイントも600点くらいもらえました。支払いをカードにした分ですね。

 

のキャッシュバックとなりました。

現金が返ってくるわけじゃないのが不自由ですが、大きい金額ですよね。

PayPay はいまのところファミリーマートでも使えるので、チマチマ使って昼ごはん代とかにするのも良さそう。

 

あと、12/9の日曜の夜に渋谷のビックカメラに行ったのですが、そこまで混んでなかったです。カメラ売り場だからかな?

 

ゲーム売り場とかだと、スマブラ新発売とかで混んでたりもするのかもしれませんね。クリスマス近いですし、全国のサンタが「PayPay PayPay」 鳴いているのかもしれません 。風情あるなあ。

 

注意事項

ただ、注意事項もいくつかあります。調べたらすぐ出て来るんで箇条書きで羅列します。

  • 3万円以上の買い物は身分証明書が必要。運転免許証やパスポート、健康保険証など。*3
  • ポイントが付与されるのは翌月。すぐ貰えるわけではない。
  • 還元分を引いてもビックカメラより他店やアマゾンの方が安かったりもすることはある。色々値段を見比べておこう。

 

まとめ

最後まで読んでくれてありがとう。

長々と書いた PayPayのキャンペーンについては、もうすぐ終わるだろうからなんでもいいです。お得で嬉しいなあ 以外の感情がないので……。

 

それよりも、カメラの上手な使い方がよくわからんくて困ってるから教えてください。

 

スマホより美味しそうにご飯を撮りたいんです。撮りたい……。

では……。

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*1:中身はちゃんと調べて公式な情報をかいてた

*2:現金が返ってくるのではなくPayPay にチャージされる残高でキャッシュバックされる。なので、2万円分バックがあっても、PayPay が利用できない店では無価値である。2018年12月12日現在。

*3:筆者は運転免許証がないのでパスポートを持ってフラフラしてたら、免税用のレジを案内された。

平成最後の忘年会の年だから「忘平成会」をやった。

「平成最後の○○」今年飽きるほど聞いたフレーズではないだろうか。

平成最後の花火、平成最後の夏、平成最後のハロウィン……

 

とりあえず、「平成最後の」とつけておけば何でもかんでも許されそうな雰囲気があって良い。捻くれているので流行り言葉はあまり好きではないが、このフレーズは期間限定感があって割と好きだ。

 

容易に想像できるのが良い。

 

数週間後には平成最後のクリスマスがやってくるし、平成最後のお正月や平成最後のバレンタイン、平成最後のホワイトデーも準備万端にしてその後ろに控えている。

 

しかし、嫌いなフレーズではないのだが、こうも続くとなるとなんだか湿っぽさがある。今年一年、名残惜しいことばかりになってしまう。それは良くない。我々は時代とともに前へ進歩すべきなのだ。メソメソせず、飛躍すべきだ。それに、いつまでも名残惜しんでいると、新たな元号に失礼である。

 

「平成最後」「平成最後」と平成にしがみつき過ぎるのは、何十年も続いたアニメの声優が引退するときに新規加入する声優に何故かアンチが湧くような理不尽さがある。フレーズ自体は面白いが、これは好ましくない。

 

そんな不寛容は、新たな年号が可哀想だ。21世紀を生きる進歩的な我々としては、両手を広げ気持ちよく迎え入れてあげたいものである。

 

そんなわけで、新しい元号を万全の状態で迎え入れるため、思い切り平成を味わい尽くす会を計画した。転校生を送り出す気持ちで、平成をチヤホヤしようではないか。

 

それが、タイトルにある「忘平成会である。

*1

 

やったこと

前置きはそこそこに、こんなことをあったよって出来事をいくつか記載していく。

イベント概要

平成を振り返ることをテーマにした忘年会をやりたい

場所

蒲田のスナックを借りた。*2

 

運営

もひもひさん id:mohi_wakame  

少年Bさん id:raira21 

千鳥あゆむ(私) 

 

やったことの紹介

ここからは、当日のやったことをざっくり紹介。

平成を振り返るメニュー

キッチンが使えるスペースということで、料理が上手い方と、カクテルを作れる方に協力いただいた。平成にあやかったメニューを提供。

フード

など……

カクテル

など……

 

私たちの考えた無茶なメニューを作ってくれて感謝……。

自分が出したヤマンバギャルと白ギャルの案が採用されていて感動した。ギャルは可愛い。そして、平成といえばギャル。

 

平成を振り返るコンテンツ紹介

メインのイベント。

平成元年から30年まで各人の思い出のコンテンツを紹介する。1人1分くらい。

自分は平成8年に発売されたたまごっちを待っていった。*7

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参加者のミニ四駆と一緒に飾ってもらった。どちらも懐かしい。

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たくさんの方が発表してくれた。ここには書ききれないのだが、ツイッターで#忘平成会 で検索いただくと、だいたい出てくる。*8

 

また、平成女子小学生の象徴であるプロフィール帳を持ってきている参加者が複数人いた。ワッと盛り上がり、会場の大人たちも懐かしい気持ちとともにプロフィールを書いていたのだが、住所の欄で筆が止まる人が多いようであった。大人になった証拠ですね。

 

あと、執筆している今気づいたんだけど、6分前にもひもひさんが詳細なレポートを更新していた。こっちの方が写真がたくさんあるので見て。*9

 http://mohi.hateblo.jp/entry/heisei_1

その他

その他にも色々あった

小渕恵三のコスプレ

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平成のキャラクターの変化を紹介するプレゼン

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平成を振り返るバンド(平成のシンボルに送る自作曲やウリナリのボサノバ)

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平成男子の分析本や平成に書いた黒歴史を出版する懐かしの同人即売会

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終わりに

若いうちに元号が変わるってもうないだろうから、こういう会を催せてよかったなーと思う。手軽に盛り上がれるので本当にオススメ。

 

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(⬆︎スナックとか普段行かない場所でガヤガヤするのも良いものですね。)

 

あと、忘年会でUSAやバブリーなダンスを踊るくらいなら、忘平成会を企画すると良いと本気で主張する。みんなが参加できるし、シラケないし、ダンスの練習はいらない。運営も楽しい。平成最後の年の忘年会だし、好きでもない流行り物の出し物で憂鬱になるのは避けたいものである。*10

 

まだしばらく平成は続くので、忘平成会のチャンスは年末だけではないはずですよ。

 

あと、あと、平成を振り返ると、自分が大人になってたんだな、って感じられますね。

 

みんな頑張って平成を生きた。

 

では、よい平成を。

 

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*11

 

*1:実際は主催者3人でコリドー街を散策してる時に適当に筆者が発した提案が思いのほかウケて採用された。長々と記載したようなお堅い思想は虚偽である。

*2:スナックである理由は別にない。カッコいいから、ワクワクするからみたいな感じだったと思う。「スペースマーケット」っていうサービスを使った。運営のもひもひさんが場所をおさえてくれた。

*3:買い出しの際に突発的に考えて食材を揃えたが、他の料理が充実してたこともあり、提供されなかった。幻のメニュー。

*4:スーパー○○って名称のドリンクとオールフリーを合わせることで、スーパーフリーになる

*5:主催がハマってるニコニコ動画のシリーズ。是非見て

*6:黒色のお酒の上に、白の生クリームの層が乗る。どうやってやるんだろ。

*7:アキバので新品3000円。気になる人は個別に連絡くれたら店を教えます。

*8:あと、筆者は愚かなので写真を撮り忘れた

*9:残業してたら先に詳細なレポートがあがっていた。ラッキー。

*10:とはいえ、立場上避けられない場合もあるのかもしれない

*11:このイベントのために買ったたまごっち。多忙につき4日で死なせてしまった。大人になってしまったと切なくなった。

正確じゃない文章を正確に読めない

幼き日より、理解しやすい文章を書くように指導されてきた。

 

小学校の時に通っていた学習塾では、漫画『コボちゃん』を教材にして、1つの4コマ漫画で起こったことを200文字で要約する課題に取り組んでいた。

 

これ、案外難しい。

 

200文字は4コマを表すには短い。故に、極力シンプルな言い回しが求められる。さらに、小学生にありがちな「面白い」「楽しい」などといった自分の感情を持ち込むと瞬く間に200文字が埋まる。要約は「自分の感情を書くべきではない」ということが字数制限の面からも察することができる仕組みとなっている。

 

塾長が求めるレベルのどこまで身についていたかはわからぬが、作文の書き方に関して「全くわからん」から「なんとなくわかる」くらいまではステップアップしたと思う。とりあえず、「1文を短くする」「主語と述語を対応させる」「過剰な装飾をしない」「要約が何なのか知る」くらいの作法を知ることはできた。

 

早期の教育のおかげもあってか、後々高校や大学で経験する小論文やレポートなどで躓くことはなかった。(うまく書けているかは別だが)あの頃に学んだ事項をおさえておけば、あからさまに低い点数をつけられることもない。

 

学生を引退した現在でも、わかりやすくする意識は持つようにしている。思わず唸る美文や技巧を凝らした文でなくても良い。とりあえず、何を言いたいのかわかるようなものを下手なりに目指すのだ。 最低限、意味がわかるように。

 

ところで、唐突な話だが、私は自己肯定感が低い。

 

よって、自分の文章の正確さには自信がないし、他の人の文章は自信満々に見える。それ故、大学院生になるまで「他人の書いた文章はだいたい自分より優れている」と考えていた。

 

人の文章と自分の文章を比べる機会が大学院までそんなになかったのが理由である。また、小学校の塾以来、特に文章について学んでいないこともあり、自分の文章は小学生レベルだと思い込んでいた。

 

大学院生になって、他の人の文章を添削する機会に恵まれた。そこで初めて「結構な人が自分より神経質ではないのかもしれない」と考えが変わるようになった。

 

添削していると、1文は長いし、主語と述語も対応していない、なんてことがわりとある。「なんだか気持ちが悪い!」と感じてしまう。内容が頭に入らない。頭がぼーっとするので、即座に自分が読みやすいように文章を組み替える。あの頃の塾長が採点してくれた時のように。

 

そして、このような悪文をみんながみんな「気持ちが悪い」と感じるわけではないらしい。それに気がついたのもつい最近だ。

 

また、書き手や添削をすることを経験すると、次第に、読む際にも「正確に読もう」という意識が働くようになった。

 

それもあり、私はテキストから読み取れる情報は全て信用しきる態度をとっていた。書いてくれてるってことは、これを読めば分かるんでしょう、と。そして、その上で、情報の真偽を考えていく。

例えば、ちょっと怪しい論文を読む時には

 

情報自体は誤りであるかもしれないが、このテキストは「○○は△△と××の可能性がある」と書かれている。ということは、このテキストは△△と××を主張している。とりあえず、このテキストの中では、○○は△△と××とされているということだ。

 

では、本当に○○は△△と××とであることは正しいことなのだろうか。考えてみよう。

 

という思考経路をたどることになる(うまく書けなくてくどい言い回しだが)。

 

しかし、書き手の思惑は案外そうでもないらしい。

 

書き手としては、△△と××ではなく、何故か文章の後の部分に出てきた◽︎◽︎を主張していたりすることがあるのだ。とりあえず思いついた順に書いていて、△△や××がさほど重要ではないことがある。そうなると、「○○は△△と××」なのかを考える行為自体が無駄である可能性もある。

正確に読もうとすると、認識を誤るケースがあるのだ。

 

これが論文や学会であれば「ここの段落で△△と××を主張しているのに、どうして◽︎◽︎が出てくるんですか」などと質問して、「書き手が悪い」と責め立てることができる。

 

しかし、現実のやりとりはそうはいかない。それがしんどい。

 

実際の文例を出すのも良くない気がするが、出さないと話しにくいので、大昔の例を出す。この話は、以前、ツイッターでも話題にしたことがある。

 

中学の時のことだ。

 

私立の高校入試前日に私たち受験生は同じ部屋に集められ、当日のスケジュールや心構えなどを伝えられていた。前日ということもあり、もう学力の方はどうにもならないので、先生たちは親切に励ましてくれる姿勢であった。

その中で

「明日は8:30に着いても大丈夫ですよ。先生たちは受験会場にいますよ」

という言葉があった。

 

前提条件として、私立高校側が出している集合時刻は「8:50までに教室へ」というものであった。

 

それを踏まえて「入試が心配な生徒はちょっと早いけど8:30に来ても先生たちがいるから大丈夫ですよ。」という意味に解釈した。

何が大丈夫なのかはよくわからないが、神経質な生徒は入試前に先生の顔を見たいなどの事情があるのだろう。

 

私は、滑り止めの学校としてその私立を受けるつもりだった。故に、入試に心配がない。ほぼ確実に受かる高校だったので、先生の顔を見る用事もない。

 

なので、8:40くらいに高校に着くようにした。他の生徒は先生と話したいだろうし、入試に間に合うなら10分前くらいがよいのだろう。また、「早く来ても大丈夫」の「大丈夫」という言葉より、「できることならそんなに早く来ないのが望ましい」という意味なのではないか、と考えた。あまり早く集まると高校側にも迷惑なのかもしれない。

 

翌日、入試会場に着くと、自分の中学の先生が受験校に乗り込んで各教室を巡っていた。大変な騒ぎらしい。

 

理由は、私が8:30の時点でいなかったから。他の生徒にも「どうしてそんなに遅いの!」と注意された。おや?私は遅刻していないはずだが……。そして、クラスにやってきた担当教諭に「遅刻だぞ」と入試直前に軽く注意された。

 

後々、納得できず、担当教諭に話を聞きに行った。

 

「8:30でも大丈夫って言ってたのであまり早く来るなって意味だと解釈したんですが」と。「そんな意図はない」とだけ返事をされた。

 

「入試だから早く行くのが当たり前」という意見はわかる。しかし、それなら「心配な子は8:30に来ても大丈夫」なんて紛らわしい言い方をしないでほしいのだ。「8:30までに来てください」それで良いではないか。上記の言い方で「8:30がデッドライン」と察するのは難解過ぎる。結局、正確に読もうとした自分だけが遅刻していた。解せぬ。

 

日常でこういうことが多すぎる。

 

納得がいかなくとも、日常において怒られたり損をするのは自分なのだ。そして、迷惑をかけるのも自分なのだ。正確に読み取ろうと努力した自分なのだ。

 

こういうすれ違いが日常でありすぎてしんどい。

 

自分が人に何か要件を伝える時は、極力「誰がどこでいつ何をするか。」の要素を忘れないようにしている。最低限、主語・述語・目的語は入れるように努力する。それじゃないと、不幸な認識のすれ違いを生むからだ。

 

ただ、書き漏らしがあることもある。その場合、こちらが悪文だと認めて、指摘いただいたことにお礼や謝罪をする。可能ならば、次回以降も遠慮なく指摘してほしいという思いがあるので。そして、早い段階で質問をされるとありがたい。

 

しかし、自分が他人から伝えられる時は必ずしもそうではない。主語がよくわからなかったり、1つの文に主語が複数人でてきて誰が何をするのかよくわからなかったりする。そうなると、追加で質問をしなければならないのだが、どうも揚げ足取りみたいで心苦しい。

 

また、先ほどの入試の例のように書いてある通りに読み取ると間違えることもある。それは空気が読めていないからだ。文が読めても空気が読めない状態、本当にしんどい。読み取れても裏切られるようで、何を信じたら良いのかわからない。

 

私は人の言っていることを、知りたい。伝えるばかりじゃなくて、理解したい。でも、正確に読もうとすると書き手の意図とは異なることがあるし、毎度毎度察するために頭を使うのならむしろテキストじゃない方が楽だ。どうして、一見意味が通ってるテキストなのにパズルを解くような思考を巡らせなくてはならないんだ。よくわからない。

 

学生の時は「悪文を書く方が悪い」として、切り捨てることができたが、現実だとそうはいかない。寄り添わなくてはならない。わかりにくい文章に向き合う時、一度咀嚼して可能性を洗い出して文章を新たに解釈しなければならない。何故……。

 

親しい人とのテキストのやりとりで「主語と述語をしっかり書いてくれ」と申し出たが「時間がない」と切り捨てられたことがある。「書けない」のではなく「時間がない」のは本当だろうか。それすらもわからない。自分はなるべく気を遣って整理して記述するが、この行為は人に利益を与えてばかりな気がする。

 

理解できない自分が悪いのか、伝える努力をしない人たちが悪いのか。どうも、前者らしい。理解したいし、テキストからは読み取れそう。しかし、理解できていない現象が頻発する。本当に虚しい。

 

悪い文章を読んで「気持ち悪い」と思う感覚は誰しもあるわけではないらしい。私の場合、後天的に身についたものだと思う。自分が文を書く時には役に立っている。

 

しかし、この感覚がなければ楽だったのかもしれない。日常で余計なことに気がついて空回りするパターンが多すぎる。テキストで手渡されることによって、逆にスッと読めない。文章の添削を頼まれた時以外で人の役に立たないし、しんどい。

 

これ、「空気が読めないからアスペですね」だとかで片付けられる話なのだろうか。なんか違う気がする。

 

仮説だが、この世の編集者はかなり生きにくいのではないだろうか。自分は編集者の方のように文章に触れているわけではないからわからないが、編集者じゃなくても十分に苦しい。

 

悪文の読解に苦しんでる割に、悪文を書き連ねてしまい、すみません。雑文っぽくしたくて小見出しはつかなかったけど、あってもよかったかも。気の向いた時に修正していきます。

ぜひ、こういう経験がある方がいたら教えてほしいです。

 

 

 

「意識低い読書会」をやって3ヶ月目になった。

今週のお題「読書の秋」 らしいですね。タイミングが良い。(追記)

 

意識(の)低い読書会という読書会を月に1,2回くらいやり始めて、3ヶ月目になる。

 

これが案外良くて、この間第5回目が開かれたらしい(私は参加していない)。

 

5回も続いたことが嬉しいし、身内以外にも広まって欲しいので、色々書いちゃおう。

 

はじまり

この会がなんなのか書く前に、はじまったきっかけを書くなって感じだが、書く。

はじまりは、唐突だった。

 

会社終わってご飯食べてる最中に、「気楽に読書会したい〜」という旨を呟いたら何人かから反応があったので、「じゃあ、やりましょう」となった。うまいことトントン拍子にすすんだ。

 

つまり、なんも考えずに見切り発車で実施だけ宣言して、実際のやり方は後から詰めた感じだね。

 

社会人になってから読書に孤独を感じる

https://twitter.com/chidoriayumu/status/1022458797418106880?s=21

 

当時のツイートを見ると、そもそも読書会のために一冊読むのがしんどい という意識があったようだ。

 

さて、最近の自分の環境の変化でつきまとう読書の問題として、以下の2点がある。

  1. 読書は好きだが、体力がない。
  2. 作品の話ができる人が周りにいない。悲しい。

 

体力がない問題

1に関しては、引きこもり気質なので平日は8時間仕事して、ご飯食べたり、帰宅したり、シャワーを浴びるともう眠いのだ。

 

休日は休日で、平日に買えなかったものの買い物とか、記事執筆、そもそも寝てる などの理由で体力と時間がゴリゴリ削られる。

 

よく「○○する時間があるなら△△しなさい」っていうお叱りがあるが、あれはナンセンスだと思う。各行動に払う体力や精神力のコストを全く考慮していない。

 

元々、HPの上限が低いタイプの人間にとって、帰宅後に頭を使うのはしんどい。読みたい本はどんどん増えていくのに、本を開くと思考がログアウトする現象が発生する。頭が動かない。字が流れていくだけで、話がまるで頭に入らない。しんどい。

 

そのため、最近ではまだ余力のある会社の昼休みにとりあえず短編や詩を読むことにしてる。

 

作品の話ができない問題

2に関しては、大学院の時からそう。

 

文学部⇨教育学の院に進学すると、ゆるく文学の話ができる人が激減する。現在は、インターネット事業の会社にいるので尚のことだ。

 

文学の話と書くと排他的で高尚な印象を与えかねないが、そうではない。

A「太宰治の『朝』が情けなくて良い。読んでみて」

B「青空文庫にある?なら、暇な時読むね。そういえば、前に太宰の『畜犬談』読んだよ」

A「お、読んだことあるけど、忘れた〜。どんなんだっけ。」

くらいの会話で良い。

 

私が嬉しいのは、相手が実際に太宰の『朝』を読むかどうかではない。読んでくれると死ぬほど嬉しいが、読まなくても良い。

 

それに、Bが勧めてくれるのは、太宰に限る必要はない。オススメのラノベでも児童小説でもBが好きなものならなんでも良い。

 

好きな作品の話を聞いてくれる人がいて、相手の好きな作品を知ることができる状態が嬉しいのだ。

「昨日のアニメ見た?」

「○○ちゃんが可愛い」

のような雑なノリで良い。同じ文学部や本好きでも好きな作品は違うのだから雑になるのは当たり前だ。

 

そして、現在では、「そんな雑に気軽に作品の話ができるあの時の環境はとても貴重だったなあ」と痛感することが多い。

あの頃のような会話をしたい。

 

読書会はガチ感ある

作品の魅力を共有したいのなら、そこらへんでやってる社会人向けの読書会イベントに参加するという手がある。

 

また、自分が所属してた大学院のゼミでもたまに読書会をやっている。それに参加すれば良さそうだ。

 

ただ、気軽に本を読みたい立場としては合わない気がする。

 

例えばきちんとした読書会ならば以下のような運営になるだろう。(すべてを満たすとは言っていない)

  1. 一冊本を読んでくる 
  2. 本が指定されている
  3. 要約のレジメを作ってくる
  4. 解釈にまつわる議論が発生する

 

これはこれで学びが多くて良いのだが、前述したように、

①読みたいが体力がない

②雑に好きな作品を共有したい  

という感じの今の私にとってはハードルが高すぎる。学生の時じゃないと無理だ。

 

だから意識低い読書会をやる

そんなわけで、ゆるく読書会をやることにした。なるべく意識低めで。参加者もわたしも重荷に感じない程度が良い。

 

運営

どんな感じで読書会を実施しているかを記載する。

とはいえ、現状の話だ。カッチリと決める必要なく、集団の意識の低さに合わせて柔軟に変更するのが良いと考えている。

①形式

なるべく気軽さを重視することにした。そして、基本的には各々が好きな作品を紹介する形にした。つまり、みんなで同じ一冊を読んでくる必要はない。

 

また、競わせると心がざわめきそうなので、そういう要素は一切排除した。

 

そのため、基本的にはブックトークの体裁を取ることにした。ビブリオバトルのように「読ませたいと思わせた人が勝ち」という競争の要素は入れない。

 

理由としては以下になる。

①好きを共有するのが目的なので競争する必要がない

②プレゼンが下手でも好きを発信してほしい

 

敢えて追記するが、ビブリオバトルが悪いわけじゃないし、批判しているわけではない。意識低めの読書会には不適であっただけである。

 

②事前準備

特にない。

準備したい人はプレゼンテーションのスライドや原稿を用意しても良い。各々がやりやすいように。

 

③場所

ビデオチャット

意識が低い我々は、外出に困難や著しい体力の消耗を伴う場合が多い。読書会のために、シャワー浴びて着替えて化粧して電車やバスに乗って時間通りにカフェに集まるのは重労働だ。

 

故に家が最高なのではないかと判断した。

 

④実施の手順
  1. 月初めくらいに参加しそうな人に、行けそうな日程を調整さんに書いてもらう(書かなくても良い
  2. 書いてくれた人の中で、都合の良い日にちの候補を出す
  3. 実施当日になったら誰かがビデオチャットの部屋を立てる。Googleハングアウトだと、25人くらいまで無料で話せるのでおススメ。
  4. だいたい、4〜6人くらい参加してくれる
  5. 人が話を聴ける集中力は短いので、1人10分-15分くらい自由に喋ってもらう。話す内容は、作品の魅力、軽く議論したいこと、ここが好き、ここが面白い、など自由。
  6. 人が喋ってる間、聴いてる人は話を邪魔しない程度に相槌を打ったり、チャットで盛り上がったり、作品を検索したり、自由。
  7. 全員話終わったら、自由に雑談するか自由解散

 

⑤注意事項

ガバガバな読書会だが、一応、注意してることもある。注意事項もガバガバなのだが……。

  1. 作品は読めればネット記事でも漫画でもなんでも良い
  2. 事前に作品を共有するのを推奨するが、参加者は読んでこなくても良い
  3. 録音や録画は原則しない(完全にクローズドな場所だからこそ面白い話があるので)
  4. ドタキャン、ドタ参はOK
  5. 途中参加や途中退室もOK

 

理想

  1. 理想は「カラオケ行こうぜ」「飲みに行こうぜ」のノリで「読書会やろうぜ」が成立すること。
  2. 新たな読書会の形としてビデオチャットがもう少しメジャーになってほしい。私は穏やかなカフェでゆるい雰囲気でとか関係なく、外出がしんどい。
  3. みんなが飽きるまで緩やかに続いて、飽きたらお休みして、思い出したらまた始まって……みたいな雑な運用

 

問題点

  1. Googleハングアウトでやっているが、人が増えすぎると画面がカクツク
  2. 今は内輪でやっている(参加者の友人やフォロワーが紹介される形)が、突然全く知らない人から参加希望が来たらどうしよう。
  3. ↑私たちが公式イベントとして牛耳ってるわけじゃないので、各々で自由に読書会をやってほしい。
  4. チャンネルを立てれる点、通知を自由に設定できる点、ログが見やすい点から、slackを連絡ツールとして利用しているが、ハードルを高く感じる人もいるので、申し訳ない

 

意識低いから良かったこと

  • 普通の読書会だとあり得ないようなプレゼンが聴ける。
  • 読書会のために準備するものはないので気楽
  • ↑用意したい人は用意しても良い自由さ
  • 複雑な運営でもないので、発起人が毎回参加する必要がない(他の人が発起人の私の都合に合わせる必要もない

 

面白かったプレゼン

個人的に印象に残ってるプレゼンをざっくりと……。

  • 森鴎外舞姫」の登場人物を一人一人殴りたい というプレゼン
  • 漫画『酒のほそ道』の主人公がとにかくやかましい話
  • 泉鏡花「竜潭譚」の紹介で、雰囲気が似てるとお笑い芸人のハライチのラジオを紹介してくれるプレゼン
  • テジュ・コール『オープン・シティ』を引きこもりがちな人に向けてすすめてくれるプレゼン

おわりに

ビデオチャットで読書会をやるのは案外悪くないので、ぜひやってみてください。

あと、「うちの読書会はこんなんだよ」みたいな話もあれば知りたいです。

雑記

雑記

 

不健康な生活を続けてしまっている。平日は普通に仕事に行って夜に帰ってきてぼんやりして、動けないからネットを見てたらもう眠たい時間で、次の朝がまたすぐに来る。休日もだいたい家の中にいて布団の中で目を開けていると気がついたら夕方になっていて、また月曜がくる。みたいな生活をしてしまっている。

 

無 しかなくて、文化や哲学がどこにもない。食って寝て生きるだけで、いっぱいいっぱい。

 

リハビリを兼ねて何もしていないなりに何をしていたかを書く。推敲をするつもりがないから破滅した文になることでしょう。知らん。

 

まず、人に会うとエネルギーを膨大に消費する。

 

金土日のどこかは丸一日家でふさぎ込む日を作らないと気狂いになりそうだ。

 

故に私が人と会うことは少ない。

 

普段メールの返事が遅いくせに、「欠席」の連絡だけは他の人より迅速である自信がある。この間はせっかく誘ってもらった大きめの飲み会も「人が多すぎる」から休んでしまった。先週の日曜日も「自分のことを好きになろうとしてくれてるんだろうな」って稀有な良い人からの突然の夕飯のお誘いも「金曜と土曜に人と会ったからもうダメ」という理由で行きたくなくて、適当な言い訳を作って断ってしまった。もう会えないかもしれない。仕方あるまい。

(基本的には行けたら行くので、本当に理由があって休むこともわりとあるのは追記しておく。)

 

ただ、人と会うのは楽しい。

 

自分が合わない(相手を不快にして怒られそう)場所にはあまり行かないようにしているし、ノリノリで会う場合には大体好きな人としか会わないからだ。なので、誘ってもらうのも誘うのもどっちも嬉しいのだが、嬉しすぎて精神が摩耗される。家に帰ると何一つできなくなって、化粧も落とせないし、歯磨きもシャワーも全部できないでぶっ倒れてくうくうと寝てしまう。でも、そういう日の翌朝って悪い気はしない。

 

嬉しいのと疲れるのは別なのだ。この話、なかなかわかってもらえない。大学のころに「会うと疲れるってどういうこと。嫌いなの?」と詰問されたものだが、「好悪と元気かどうかはどう考えても意味合いが異なるし別軸で考えても良さそうなもんだ」と、字引を引っ張り出して説明したくなる。厭味ったらしいからやらないが。

 

「人と会うのは楽しいがしんどい」ことの折衷案として、ビデオ通話がある。これは大変良かった。ここでは詳しくは書かないが、最近「意識が低い読書会」という「催し」(というには大げさだが)を企画している。この間第4回目をやったのだが、「意識が低いから読書会をするために出かけたくない」という私の願望のもと、強引にビデオ通話環境で実施され続けている。

 

ビデオ通話だと、人がしゃべっている間に気になることがあったらネットでパパっと調べられるし、化粧や風呂をサボっていてもばれない。適当な部屋着でも良いし、途中で寝落ちする人もいる。飽きたら退出すればよい。家で自由度高く人と会う体験をできてしまうので、さほど疲れない。翌日も元気に活動ができる。これまでビデオ通話はあまり活用してこなかったのだが、かなり良い。怠惰に過ごしてきたここ一か月での一番の知見だ。「しんどくてお出かけはできないけど、ビデオ通話ならできます」みたいな言い訳が世の中に広まると、生きづらさが軽減される人が増えそうなものですね。

 

あと、読書会以外の新しいこととして、(春からたまにレッスンに行っていた)ドラムをちゃんと練習し始めた。前に会社のサークルみたいなのでライブがあって初心者なのに出させてもらったのだが、そのあともなんだかんだで、練習が続いている。できないことが多すぎるので、その分、新しくできるようになることも多いわけで、楽しいですね。悪筆すぎるから書道をはじめて、右払いのコツや隷書の逆筆を覚えた10年以上前の時のようにいちいち「へ~~~」となる。あと、スティックがあれば家でもできるのがうれしい。これは、楽しいからやる。

 

ここ数か月外出の機会が減り、ぼんやりする時間が増えたのだが、困る点もある。

 

本を読めない。絵を見れない。

 

どんどんバカになっていくようで怖い。別に本を読んだり芸術に触れれば頭がよくなるとは考えていないのだが、寛容になるとは思っている節がある。小説でも思想書でも絵画でも確実に自分の思想とは異なるものに触れるわけだから、ある程度考えを巡らせる機会となるわけで。その体験が多ければ多いほど、自分と違いすぎる人をも受け入れられる気がするし、それで困惑したときに折り合いをつけやすくなると思う。

 

もっとざっくりした話をすると、年を取ったときに「あの人も私と同じく〇〇に立つべきだ」なんてつまらん愚にまみれた発想になるのが怖いので、若いうちにいろんなものに触れておきたい。だが、体力がなくてそれができないのがしんどい。

 

せめて、せめて、20分でも本を読もう。と、会社の昼休みに青空文庫を開いて気になる作品を読むようにしているのだが、これは悪くない。太宰治の短編だと高校の時にだいたい読んでいるはずなのだが、当時は意味がくみ取れなかったり、もう忘れていたりしているので新鮮に読める。あと、太宰の大学時代の話「盗賊」なんて高校の時にはよくわからなかったけど、社会人になってから読むと面白みが増しますね。大学特有のぼんやりしたダメさや生ぬるい空気感の中にある繊細な感情みたいなのが好きだなア。

 

外に出るのがしんどいので絵を見に行けない。森村泰昌さんの展示に行きたいと数週間言い続けている。今日見に行く予定だったのだが、なんと日曜日が休館の施設だった。心が元気でも世間の都合がうまくいかないときがあるのだ。だから今日は家にいる。

 

仕事終わりに行ける美術館だと夜10時くらいまでやっている森美術館しかなさそうだし、休日の美術館は人が多くて2倍マシで疲れそう。あと、休日は動けない日が多い。どうしたらいいものかね。画集で見るのもいいのだが、どう考えても本物を見たい。

 

絵具のノリやキャンバスの大きさ、他の展示との関連、展示の順番、他の客の食いつき具合、そんな絵そのもの以外の要素から生まれる展覧会ならではの感動もあるわけで、それらは画集じゃ到底再現できない。データがある訳じゃないが何千円の展示に足を運ぶのは無駄ではない、と強く主張していきたい。少なくとも私にとってはそうなのだ。それでいい。4年前にアンディウォーホル展で初めて念願のキャンベルスープ缶を間近で見て力が抜けて涙が出たあの体験も虚偽ではない。家で画集を読むだけじゃダメなこともあるのだ。

 

そのうち、有休を取るかなんかして、丸一日美術館に行く日を作ってもよさそうだなという考えを巡らせている。風邪をなおすことや、地元でダラダラするために有休を使っていたが、こんな日があってもいいだろう。時期はいつがいいのだろう。クリスマスとかだとむしろすいてるかな。その前でもいい。

 

そうそう、今度、新しい書いたことないジャンルの記事を書く(かもしれない)話が出てきていて、少しなんか書きたくなったのでリハビリとして近況を書きなぐった。ここ数か月あり得ないくらいふさぎ込んでいて、文章を打ち込むのがままならなかったが、突然書きたくなったから書いた。悪文だけどそれでいい。では、風呂を沸かして残りの今日は何やるか考えることにします。