とりめも

鶏肉

漢文AC4日目 飲酒 其の八(陶淵明)

漢文アドベントカレンダー4日目です。

陶淵明の「飲酒」の8番目のやつです。

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周りの草木がなくなって、一本だけ残った松の木を褒めてるんですよね。

陶淵明は隠逸詩人なので、世間や役人生活から距離を置いた自分のことを松に例えてるんですかね。

たしかに、冬の木はかっこいいなあー。夏だと雑草や丈のある草に紛れていますが、冬だと全部枯れちゃうから木の存在感が増すように見えます。北海道だから本当に草木が消滅するからかもしれませんが。

ところで、陶淵明にとっての俗世間って役人生活以外にも何かあったっけって気になってきました。調べよう。

 

漢文AC3日目 飲酒其の七(陶淵明)

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漢文 Advent Calendar3日目です。

あっ、1文字隠れてる!「 聊か」です。

 

酒に菊を浮かべる描写が出てきます。窓辺で黄昏ながら、酒に花を浮かべるなんて、そんな自分の姿に酔っちゃいそう。宴会じゃないのにわざわざ花を摘んでるんですよ。当時の中国では日常的な文化なのかもしれませんけどね。

個人的には、現代でやってみたら、なんだか特別に感傷的な雰囲気を作れそうな気がします。「理由があって酒を飲む」みたいな。どうでしょうかね。

世の中の煩わしさを忘れるために酒を飲んで、生き返った心地になるのは、今も昔も変わらないのかもしれません。

酒に依存せざるを得ない生き方も肯定されるかのようで、飲酒20首の中で1番好きです。

自棄酒に自罰的になりそうな時はこの詩を読みましょう。

 わたしも酒のみたい。

漢文AC2日目 陶淵明「飲酒其の五」

漢文Advent Calendarの2日目です

起きて寝るまでを1日と考えるので、数時間後の更新でも2日目になってしまいます……。

 

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なんか陶淵明の詩には菊が多いとか書いてる学術書を読んだことがあります。今回の詩は違うかもしれませんが、昔の中国ではお酒に菊を浮かべることがあったそうな。刺身の横や仏壇に置く以外に使い道あるんですよ、菊!

 

「飲酒」だからと言って(後世の人が名付けたのかもしれない)、20首全部に酒が出てくるわけではないです。たしか、半数くらいのはず。其の五では出てきてなさそうですね。

 

私も割と引きこもりがちなのですが、悠然と外を見てみようかなと思って、ベランダに立ったら、隣の家の洗濯物しか見えませんでした。悲しい。家のいいところは、外の世界と隔絶できるところですよね。小さな間取りでも、外の煩わしさから忘れさせてくれる(陶淵明の場合は役人生活)時点で、王国のような気分です。

 

なんか、飲酒其の五は他のものよりやたら検索でヒットするんですが、教科書に載ってたりするんですかね?宿題をラクに終わらせたい高校生は、私の訳はあまり参考にしないほうがいいかと思います。

 

 

漢文アドベントカレンダー 陶淵明 「飲酒 其の一」

わたしもアドベントカレンダー(Advent Calendar)やってみたいなーってことでやります。

 

何やろうかなって感じなのですが、漢文や漢詩を読みます。

 

久々に勉強したいのと、半端にしか読めないので。

 

他に読みたい人はいないと思うので、取り敢えずは1人でやっていきます。

 

もし、なんか紹介したい漢文や漢詩があるって人がいたら一緒に読みましょうー!

 

始めるの遅かったから年末くらいまでになるかも?

 

もはや、アドベントカレンダーってなんなんでしょうか。よくわからないけど、まあいいや。

 

読んでいくもの

 

陶淵明の 「飲酒」という詩を読んでいきます。たしか、20首くらい、酒に関する作品があるんですよ。量もちょうどいいし、年末は酒を飲みたいし。あと、陶淵明が好き。

 

他にも読みたいのがあるので全部やるかはわかりませんが、作品はその日の気分で選んでいこうかなーと思います。

 

列子:楊朱篇」にしようと思ったのですが、ネットではあまり書き下し文がないんですよね。本を手に入れたらやりたい。

 

 やりかた

  1. 白文を書く
  2. わかる範囲で訓点をつけて書き下し文を予測する
  3. わかる範囲で訳を書く
  4. ネットで調べたり、辞書で調べてなるほどって思ったことを書き込んでいく
  5. ちょっと感想書く

※だいたいの訳がつかめればいいことにする

※担当者や扱う作品によっては書き下し文や和訳の鑑賞文でもいいかも?柔軟に。

 

飲酒 其の一

 

 

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シャーペンのメモが見にくいですね、次から気をつけよう。

 

お話の前半はこの世の移り変わりについて分析しているのに、後半に「じゃあ今を楽しむのが賢いじゃん!酒を飲もうよ!」といった感じに開き直るのが最高ですね。

 

他の作品にもこんな感じの思想が散見されます。階級だとかが厳しかった時代だろうに、せっかくの官僚の仕事を捨てて、俗世間を避けて田園で生活したって生き様も良い。そんなわけで、陶淵明が好きなのです。

 

高校の漢文の教科書だと、陶淵明の「帰去来辞」や「桃花源記」を習った人もいるかもしれません。

 

教科書の詩人って堅苦しくて偉大なイメージがありますが、案外酒のことを書いてる人は多い。お酒は最高……。

 

読みたい人がいたら、一緒に読みましょうー!短い詩ならできる範囲で紹介しますし、教科書の作品とかでもいいと思いますよ。

自転車が難しい

自転車が難しい。

 

一応乗れるのだけど、かなりふらつく。スピードを出すと自分がついていけないのだ。冷静な判断で曲がれる気がしない。人並みのスピードを出すと「死」を感じる。

 

結果、かなりゆっくり漕がなきゃならない。おばあちゃんに抜かれる。

 

大学の警備員に怒られたことがある。「自転車を早くこいでください」と。それ以来、自転車で通学するのはなるべくやめることにした。

 

地元にいたときは、母親の友達に心配された。「千鳥ちゃんの自転車、壊れてるからメンテナンスしてあげなさいよ。可哀想よ。」と。漕ぐのが遅いだけで、新品でした。

 

トロくて自転車のスピードについていけない意外にも理由があって。まばたきを忘れるのだ。「事故を起こしたら社会的に死ぬ」と気を張りながら自転車を漕ぐとまばたきにまで意識がいかない。結果、目が乾いて涙がとまらなくなる。むしろ、危険。

 

小学生男子が自転車で全力疾走する様子、「バカじゃん」って思ってたけど、彼らは私にはできないことをやっているから、優れているとも言える。危ないけど。

 

片手運転や両手放し運転なんて、曲芸か。できたことない。傘差し運転をやりたくてもできない人もいるんだぞ。雨に濡れながら漕ぐしかない運命。(傘差し運転はそもそもやってはいけない)

 

補助輪を外して自転車を乗れるようになるまではかなり苦労した。幼稚園のときに教えてもらった。転ぶたびに汚れるし、弟の方が上手だし、家で絵を描いていたい。「こんなのできなくてもよくない?」って気持ちだったけど、ゆるしてもらえなかった。

 

田舎では自転車は必須なのだ。友達と遊ぶのに自転車がないと不便、という状況が平気で存在する。諦めさせなかったのも、親の愛だ。結果、筋肉痛で歩けなくなって病院に行ったけど。自転車の練習で病院送り。

 

高校のときは、近所の友達が学校まで自転車で30分でつく距離を、わたしは45分かけて通学していた。朝の15分ロスはでかい。ゆっくり朝ごはんを食べれるし、単語を暗記すれば褒められる小テストの得点アップも見込める。

 

ただでさえ学校のある朝はどことなく憂鬱なのに、毎朝15分も長く自転車にまたぐなんて苦行やってられるか。明日は雨が降らないかなって毎日天気予報をチェックする日々。結局、親に頼み込んで、三年生にはバス通学にした。自転車が乗れなくてバス通学。

 

小学校二年生で自転車を新調した折、その自転車で近所の大型スーパーから家に帰らなきゃならなかった。成長を見越して選ばれた新しい自転車は大きくてこわい。グラグラ揺れながら田舎の広い道を漕いでいると、怒号が響き渡った。

「乗れないならトロトロ乗るんじゃねえ!」

小学校の野球クラブの監督だ。自転車で、ユニフォームの男の子たちを引き連れていた。たしか、地域の野球うまいおっさんが顧問をしていたはず。

 

おっさんは、わたしの母親が謝り倒しているのを見て、バツが悪そうに去っていった。親がいるのに気づかなかったんだろうなあ。

 

「誰とも事故を起こしていないのに、なんで怒られなきゃならないんだろう」小学校二年生の自分にはわからなかった。

 

今ならおっさんの言い分に100パーセント同意する。それに、自転車が遅くて親を謝らせるなんて、罪深い……。

 

わたしは自転車に乗らないほうがいいし、乗らなくてもいい。努力はした。そもそも、漕ぐのが異常に遅いから、歩くのとさほどスピードが変わらない説もある。

 

世の中には自転車に乗っちゃいけない人間がいる。それがわたしだ。

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ゴキブリを倒す方法(初心者が初心者に向けて)

一人暮らし6年目(京都に4年いて、今は千葉に2年目)なのですが、夏場はゴキブリが出ます。

 

京都にいたときは出なかったんですけど、いまのおうちは夏だけワンシーズンに4回ずつくらい遭遇しました。

 

ごちゃごちゃしてる部屋だけど、生ゴミは溜めてないはずなのに、なぜ……??

 

冬場は出ないのはなぜ……??

 

部屋が3階なのになぜ……??

 

色々考えてみて、どこから発生してるのか注目してみました。

 

堂々と玄関から入ってました。

 

ゴキブリ予防のスプレーとか御構い無しです。どうにもならんやつですね。なんでこんなことになってるかというと、マンションの構造に問題がありまして。

 

・エレベーターがなく階段なので部屋の扉を開けるとほぼ外(エレベーターならまだ建物の中ってこともありますよね)

・2年で出るつもりなので安い

・大家が遠方に住んでるためメンテナンスされない

・年がら年中電気がついているので、カナブンとかカメムシとかカマキリが集まる。それならゴキブリも集まるはずだ。

・そもそも家の周りに草木が多い

 

加えて、可能性としては、

・隣の部屋が規約に反して犬を飼ってた(もう引っ越した)ので動物くさかったのかも

 

というのもあります。

 

今からお部屋を選ぶ方は、気をつけてみるといいかもしれません。

 

あと、京都に引っ越したときは「はじめての一人暮らし、ゴキブリが怖いです」と正直に伝えたら、なるべく綺麗な物件を紹介してくれました。さらに、すでに内見した物件でゴキブリが出そうなとこは事前に伝えてくれました。正直……!

また、引っ越して入居してみると、部屋に虫よけゼリーの設置もサービスしてくれていて、本当に神対応でした。これは、ラッキーな例だと思いますが、一言相談してみると損はしないかも?

 

そして、わたしは北海道出身故、ゴキブリとはあまり面識がありません。部屋でゴキブリを倒さねばならない状況になったのは、千葉に来てからで、最近のことです。北海道ってあまりゴキブリ出ないんですよ。

 

せっかくなので、そこで得た知見をまとめます。

 

※ゴキブリ退治初心者が、ゴキブリ耐性のない初心者に向けて勝手に書いてるものです。知見のある方には当たり前かもしれません。

 

ゴキブリはこわくない

ゴキブリはこわくないです。私にとっては未知の生物だったので「こわい」という意識が刷り込まれてました。

でも、よくよく見るとカマキリの方がグロテスクな顔をしてます(個人の見解です)。

早く動いたり、飛ぶ行動が突飛すぎてこわいんです。

慣れてしまえばこわくなくなります。

そんな感じで「ゴキブリをこわいのは偏見だ、偏見だ」と自分に言い聞かせました。冷静な目で向き合いましょう。

結果、こわくはないけどキモい くらいに落ち着きました。

「人間のほうが偉大で強いはず」そう勝手に思い込んで、「人間なめるなよ!」って悪口を発しながら倒してます。(わたしは、元気に強気になれます。)

 

倒し方

わたしは大学の時にオタクサークルに入っていました。で、定期的に仲間うちのTwitter「部屋にゴキブリが出た」という投稿を目にしていました。

(別にオタクが部屋が汚いという決めつけではなく、「サークルの性質上、自分の周りでは恋人を家に招くことが少ない男子学生が多く、それだとまあ無頓着でも許されるので、部屋が汚い人が多かった」くらいの話です。あまり突っ込まないであげてください。)

 

そこで、経験者から得た知見があります。

 

「潰すと汁を飛ばしながら死ぬ」

 

タチが悪いですね。叩くにしても潰しちゃダメらしいです。力加減が難しいそうです。

 

叩かない倒し方

とりあえず叩いてはいけないという知識だけあったわたしはスプレーに頼るしか思いつきませんでした。

 

二種類の方法で殺りました。

 

  1. ペットボトルを被せる
  2. スプレーで執拗に追いかける

 

1つ目のペットボトルを被せる方法は、2016年夏くらいにTwitterで見かけた方法です。ペットボトルの底を切って、壁とかにくっついてるゴキブリにかぶせます。そして、飲み口からプシューっとスプレーでガス攻めにする。

 

これ、オススメです。手を汚さなくていいのと、運が良ければペットボトルの中にコトリとゴキブリの死骸が落ちるので、そのままトイレに流したりベランダに捨てたりできます。

良くないところは、スプレーを噴射すると、ゴキブリが、ポップコーンができるときみたいに威勢良くもがき始めることです。爆ぜてしまいそう。

なかなか死なないので、我慢して看取ってあげてください。

あと、マンションの壁とかがスプレー使えるかどうかにも注意ですね。

 

2つ目のスプレーで執拗に追いかけるは今年やりました。ペットボトルを用意するのが面倒臭かった……。

 

部屋の端っこに追い込んで、これでもかこれでもかとスプレーをかけましょう。スプレーをかけ続けるとゴキブリの動きが鈍くなります。なので、追い込んでからスプレーを噴射するのではなく、噴射しながら追い込むとお得な気がします。スプレーの減りは早いけど、早く処理できれば良いので関係ないです。

 

いい点は、比較的穏やかにゴキブリが天に召されること。徐々に弱ってくので、ポップコーンみたいに派手な痙攣を起こしません。

 

よくない点は部屋中がスプレーまみれになり、くさいこと。わたしはゴキブリを予防するスプレーで倒していたので、予防もできて一石二鳥ってことにしましたが、アレルギーとかある方は注意。あれ、臭いよ。

 

 使ってたスプレー

 

 

 

 

定番だけどこれ使ってました。

ゴキブリがいなくなる予防用のスプレーです。これを実戦の場で使っても問題ないです。あと、ゴキブリを倒せるってことは、蜘蛛とかよくわからない虫も倒せるので、家にお守りとして1本置いておきましょう。

また、二週間に一回、窓やドアの周りをシューシュースプレー蒔きましょう。二年目はよくわかりませんでしたが、一年目に虫が大量発生したときには、激減しました。

1本1000円くらいするのと、臭いがきついのが難点ですが。

 

あと、ブラックキャップとかゴキブリホイホイはゴキブリが出て出てしょうがないときに、餌でおびき寄せて捕まえる商品みたいです。なので、そこまで出ないんだけど…… っておうちで使うのはやめておいたほうがいいと思います。

 

他にはハッカ水でも予防できると聞いたことがあります。

 

わたしもまだまだゴキブリ退治初心者(?)なので、他の方からの知見も聞きたいです。今度引っ越す予定なので、出ないことを祈りますが。

 

エピクロスの「隠れて生きよ」に救われた話と、中学・高校あたりの自意識の変化

ここ数日、友達がここ数年の心境の変化みたいな文章を続々と綴っていて、ついつい読んじゃう。そんなわけで、単純なので「私も書いてみたいなー」とうずうずしてきました。鉄は熱いうちに打て。いそいそと書いちゃいます。

お行儀が良くない気がしますが、敬体と常体をまぜこぜに書いちゃいます。その方が書きやすいので。

 

大学、大学院あたりのことも書きたいのですが、中・高校の自意識の変化が極端だったので、覚えているうちにまとめたいなーと思います。長いです。一言で言うと、快楽主義が好きって話です。

 

中学くらい

 

大学までは地味な子どもだったと思います。

 

中学の時は、通信教育と塾のおかげで勉強だけはできたので、ギリギリのところで周囲から存在は認められていたと思います。

 

ただ、非常に治安の悪い公立校に通っていたこともあり、勉強できることは個性になってもそこまで魅力にならない。カーストは大体、どの部活に所属しているか、ルックスはどうか、スポーツが得意かどうかで決まるので。

 

あと、部活に非常に力を入れている学校だったので(平日は毎日のように活動する部活が多かった)週に3回しか活動しない書道部に入っていることを理由に小バカにされてることもありました。

 

また、私個人はアニメ鑑賞はそんなにしてなかったし、学校でオタ話はしてなかったのですが、ヤンキーに「あのオタクたち」って呼ばれていたので、ついでに、なんか見かけとかもイケてなかったんだと思います。

 

この時期は、私自身も客観的に自己を捉えることができていませんでした。事実、ギャルやヤンキーと自分のルックスの違いがよくわかっていなかった(アイプチずれてるし、ブスじゃんって思ってた)。

 

卒業して10年たった今、卒業アルバムのヘルメットみたいなショートヘアの髪型の自分を見返すと、「校則破ってでも少しは化粧くらいしろよ」って思うくらい、もっさいですね。ヘルメット被ったジャガイモが制服着ている。おこがましい思想を持っていたものです。

 

身分不相応な自意識を持っていたおかげで、中学時代はお気楽に生きていけたと思います。あと、勉強ができたので調子に乗っていた。ヤンキーやギャルから嫌な思いをしても「でも、あいつら全員私よりバカじゃん」って内心見下してたから生きていけた。不登校になる子どもが非常に多い学年だった(1学年に15人くらいいた)ので、ふてぶてしい生き方は良かったのかもしれませんが。

 

受験勉強も、強気な自意識をこじらせたまま、継続していました。地域で1番学力が高い高校に入学することで、はっきりとヤンキーやギャルとは自分が違う人間だと示したいって願望が強かった。あと、「自分は治安の悪い空間にいるべきではない人間だ」という謎の選民意識があった。勝手に特別だと思っていた節があります。

 

高校入学 勉強

無事に、地域の進学校に入学することができました。中学までは、自分が勉強できると思っていたのですが、最初の試験で「そうでもなかったな」と知ることができました。

 

地域の中学校の上位者ばかり集まるので、その中では普通くらいだったんですよね。たしか、最初の試験は280人いて114位だった気がします。卒業するまで3年間そんな感じの順位のままだったんで、ずーっと普通でした。

 

私は、全部の科目を平均的に得点できるタイプではなく、典型的な私文タイプでした。国語や歴史、倫理、自分の好きな科目では学年で10番以内に入ることもありますが、ついていけなかった理数科目は下から30番の常連でした。なんか、200点満点の数学の模試で100点をとったら担任からものすごく褒められたこともあります。救いようがないくらい理数科目ができなかった。

 

そんなわけで、「人間にはできることとできないことがあるんだなあ」と身をもって学ぶことができた3年間だったと思います。中学までは、どの教科もできる自分じゃないと好きになれなかったけど、高校では、面白い点数の取り方をする自分もいいじゃないかと納得することができました。合理化をせずに必死で勉強しろって話ですけど。

 

高校入学 人間関係

一言でいうと「さん付けで異性から距離を置いて呼ばれ続ける」立ち位置です。「さん」付けで呼ぶのはよくあることだと思うけど、みんなが呼び捨てやあだ名で呼ばれる中でも「さん」付けをされる。いじっちゃいけない雰囲気があるので、あだ名がない。悪口も言われない。

いじめられていないけど、距離が近くなることはないって雰囲気。地味でよくわからないって感じでしょうか。踏み込んだ人間関係にはならないし、関心を持たれない。

 

勉強を通した自意識は前述の感じだったのですが、人間関係は公立中学よりハードだったと思います。荒れていた中学の時って、学力上位層とヤンキーやギャルって互いに見下してるから生きていけたんですよ。どっちも悪目立ちしますし。でも、その間の人は発散場所がなくて苦しい人もいたのだと思う。高校時代は、その苦しみに近いものを理解できた気がします。

 

進学校だと、みんなそこそこ勉強ができるので、本当にコミュニケーション力が問われる空間でした。

 

華やかな特技がある子やカリスマ性のある子のまわりには人が集まっていた印象です。

 

1年生の4月には自分を偽って、いかにも強そうな子と仲良くなろうとしたこともありました。

 

リーダー格に話しかけようとした時に、取り巻きにいた、小柄で声がかわいい子(天然ロリキャラ扱いされてチヤホヤされてた)に「さっきから目が怖い、睨んでるみたい~~><」と言われて、踏み台にされて撃沈しました。堺雅人にどことなく似てる女の子だった。

 

そう、私は目のクマがすごいし、乱視だから裸眼だと焦点が合わないから目を細めてしまう。堺さんの言うことは間違えていない。メガネをかけるべきだったか。

 

そして、入学三日目くらいで高校デビューは諦めて、自然と集まった子と交流を深めることになりました。気が合うし、今でも仲良くしてもらっているので、結果的には本当に良かったんですけどね。

 

また、人間の特徴としては、学力が高いが故に学級委員長や生徒会に所属していた子が多く、目立ちたい子や気の強い子も多いと思います。

 

そして、良いことだと思うのですが、負けず嫌いな子も多い。「干物妹!うまるちゃん」のシルフィンさんみたいな負けず嫌いさを持った子がクラスに15人はいると考えて下さい。しんどいでしょ。(シルフィンさんは可愛いし素直でいい子。)

 

そんな人間が作り出す何事にも全員で全力な雰囲気についていけませんでした。

 

特に毎年秋の文化祭に力を入れる学校だったのが印象的です。クラスの展示(お化け屋敷とか迷路とか)と仮装パフォーマンスに力を入れる学校だったのですが、行事の準備を休むと、「こっそり勉強しているのでは?」とクラスから白い目で見られたりすることもありました。担任の先生も、「行事をサボって勉強しても身につかない」とかHRでお話ししていた。

 

私の場合、書道部の作品づくりで休むのにいい顔はされませんでした。「クラスの中心的な子がテニス部の大会に行くときはみんなが応援するのに、文化祭に部活として出展する作品を作る私が嫌な顔されるのはなぜなんだ……!」みたいな理不尽さを常に抱えていた気がします。

 

あと、ほんの少しだけ絵をかけたり手先が器用だったのですが、文化祭の期間だけ強そうな子に頼りにされてチヤホヤしてもらえていました。でも、高校2年のクラス替えの時に、クラスの中心の子に始業式の最中に「文化祭、頑張ろうね!」と声をかけられて、素直に喜べませんでした。「私の役目ってこれだけか……」となんだか利用されているようで嫌な気持ちになりました。

 

高校1年の時の文化祭は、自分のクラスが優勝したのですが、担任の先生が「(クラスの中心人物を複数人)はよくやってくれた」と名指しで褒めていらっしゃって、

「わたしの方が、あの子たちより上手な大道具とか小道具をたくさん作ったのに……。」ってむなしかったんですよね。地味だったから目立ちたかった。ここで褒められて、使えるやつだと思われて、これをきっかけにみんなと普通に仲良くなれるかも、なんて期待してた。正直、クラスが優勝だろうとビリだろうとどうでもよかった。

 

中学の時はクラスがまとまっていなかったので、多少いい加減な人も許容されていた部分もありました。しかし、高校は、クラスで行事の1位をもぎ取るために全員で頑張ろう って雰囲気で、私は適応できませんでした。「普段はクラスの一員に入れてもらえないのに、なんでこんな時だけ……」って行事のたびに感じてしまうので。文化祭だけでなく、合唱コンクール、球技大会も同様に憂鬱でした。

 

あと、裏方で頑張っても、派手な子が「褒められ」をかっさらっちゃうんだなあというむなしさも。本当に幼いなあと思うのですが、派手な子にチヤホヤされて一発逆転できると思ってたんでしょうね。行事に役に立つイラストが得意でも、コミュニケーションが得意じゃないのでカバーできるわけもなく。

 

高校3年

仲のいい子がいるから基本的には楽しいけど、定期的に学校行事で憂鬱になる2年間を過ごしていて、3年生になりました。

 

この時に、個人的には大きな出来事があります。倫理の授業が始まったことです。初めて、倫理の教科書と資料集を受け取り、ペラペラめくるといろんな先人たちの顔があって難しそうな言葉が並んでいてわくわくしました。普段、最低限しか勉強しないくせに、春休みから張り切って倫理だけは予習をしていました。

 

そんな折、エピクロスという古代ギリシアの哲学者を知ります。倫理の教材には哲人たちの名言が多数掲載されているのですが、エピクロス「隠れて生きよ」という言葉が紹介されていました。

 

クラスでの振舞いに悩んでいた高校生にとってパワーワードじゃないですか??

 

派手な子が先生からチヤホヤされるのに、この哲人は「隠れて生きよ」と命令口調でおっしゃっている。進学校の文化に適応できなくてひっそり生きざるを得なかった自分にとって、楽園のような言葉です。

 

実際は、「ひっそり何かから逃げるように隠れろ」という意味ではなく、「精神的な快楽を重視して、わずらわしいことからは解放されるべきだ」みたいな話だったと思います。むしろこちらの意味のほうが私にとってはありがたかった。

 

自分の学校では、「嫌なことに対しても全力を尽くすべきだ」って教えられる場面が多かったのですが(だいたいの学校はそうだと思いますが)、過度に真に受けていた自分にとってはこれまでの悩みの大半を救ってくれるような思想でした。

 

みんなはクラスのリーダー格の提案に従っていてそれが正義のようだ。でも、内心では従いたくない自分のことも受け入れてくれる世界があるのかもしれない。

 

当時、「みんなができているリーダー格の子への適応ができていない自分でも、快楽主義では善なのかもしれない」 とも解釈できる思考法が与えられたことは安定剤となりました。

 

だって、カーストを気にして、リーダー格の子と無理やり仲良くなったとしても、精神的には今より苦しいはずなんです。本心は、世間体(クラスの中の)が悪くても、仲のいい友達とヘラヘラやっていきたいわけですし、それは快楽主義に則るのならば悪いことではないはずです。

 

多数の人が適応できている学校の文化には反するかもしれないけれど、そういう考え方が存在できる可能性があるだけでありがたい。

 

また、このころから「自分はどう行動したら好かれるのか」ではなく「自分はどう行動したいのか」を考えるようにしました。実際には、思い通りの行動ができない場面は多いのですが、「あの子に好かれるためじゃなく、やらなきゃならないからやってるんだ」って考えられるだけでだいぶ楽になります。

 

エピクロスについて知ってから、仲のいい友達数人にすぐに話しちゃいました。倫理の教材片手に。定期的にエピクロスの会(通称 エピ会)」という集まりを空き教室で勝手に開いて、高校生なりに、自分たちが楽に生きる方法を話し合ったのもいい思い出です。

 

他の人は感覚的に自分の好きなようにやっているのかもしれません。

ただ、私にとってはそれが善とされるのかどうかが重要でした。

ですので、「有名な哲人が自分を受け入れてくれる思想を述べていて、それが倫理の教科書に載っている」

このことで、自分がやっと公に認められたような心地よさがありました。

 

無理やり今に絡めるとすると、大学でほんの少しだけ中国思想の勉強をしたことでしょうか。卒論は中国の性愛に関する風習(セクシーですよ)を魯迅がどう考えているかについて書いたので、思想に触れたのはほんの少しですが。「儒教より道教のほうが自分に合うな~」とか思ってたあたり、エピクロスの影響は受けてそう。

 

道教が合うなあといいつつ、儒教の風習について卒論を書かなきゃならなかったので、「いろんな思想にも、事情があるんだなあ」と考えることができるようになったのは良かった。先日、大学院の人に「人の考えを批判せずにまずは受け入れるよね」って言ってもらえて、めちゃくちゃうれしかったのですが、ここら辺の経験がもとになってそうです。

 

あと、教育関係の大学院にいたり、塾講師や非常勤講師をやっているので、勉強ができない子や大人しいけどチヤホヤされたい子の立場を推し量る癖ができたのは良かったです。みんなどうせなら褒められたいよね。実際、どこまでわかってあげられているのかはわかりませんが、なるべく意識を向けようとする癖はついています。

 

最後にちょろっと

エピクロスしゅき~~」

って話をしたとはいえ、ちゃんと高校の時にエピクロスの本を読んだわけでもなかったんですよね。教科書外のことをネットで調べてしょっちゅうニヤニヤしたりはしてましたが。

 

これを機に近々読もうかなと思ってAmazonでポチっちゃいます。

 

快楽主義の表層を知ることは、高校の狭い空間に適応できていなくてしんどかった自分には、有効でした。社会人だと通用しないかもだけど。快楽主義だけで世の中を渡っていけるとは思いませんが、考え方の1つにそういうものがあると知っておくのはアリなのかなって思います。

 

あと、あなたの推しの思想家がいたらTwitterとかで教えて下さい。知識が魯迅と中国のエロい風習に偏っていて無知なので勉強したいなーと思っているところなので、喜びます。